歴史上の人物ゆかりの地

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横須賀

正業寺・砂村新左衛門の墓

正業寺しょうごうじは、平作川下流域の久里浜一体を開拓して内川新田を築いた、江戸時代有数の土木技術者である砂村新左衛門すなむら しんざえもんの墓がある寺院です。和順こども園(旧和順保育園)が併設さ...
逗子

正覚寺(小坪)

正覚寺は、光明寺開山で浄土宗三祖の然阿良忠ねんな りょうちゅう(記主禅師)が開いた良忠院悟真寺を前身に持つ、逗子・小坪の字飯島にある寺院です。光明寺のある材木座とは飯島岬(飯島崎)を挟んで隣接し...
鎌倉

光明寺御廟所(北条経時の墓・記主良忠上人の墓)

天照山と呼ばれている浄土宗大本山・光明寺の裏山には、光明寺を開いた鎌倉幕府第4代執権・北条経時ほうじょう つねときの墓と、開山(初代住職)である浄土宗三祖・然阿良忠ねんな りょうちゅう上人(記主禅師...
逗子

小坪坂(小坪峠)

小坪坂(小坪峠)は、鎌倉と逗子を結ぶ峠道の一つで、中世から近世までは、鎌倉側の入口は材木座(鎌倉市材木座)あるいは飯島(逗子市小坪の字飯島)付近、逗子側の入口は小坪の牛頭天王社(現在の須賀神社、逗子...
逗子

こんぴら山やぐら群

こんぴら山は、神武寺境内の西側にそびえる山です。JR東逗子駅方面から表参道を登って行くと、向かって左手に見える丘陵地にあります。こんぴら山やぐら群は、この山の山頂から一段下がった斜面に、神武寺境内の...
鎌倉

護良親王墓&理智光寺跡

後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう/もりながしんのう)は、元弘の乱で鎌倉幕府を倒幕して、武家政権から天皇中心の社会へと導く立役者でした。しかし、建武の新政以降は一転して、後醍醐天皇や足利尊...
2024.09.07
横浜

釜利谷やぐら遺跡・11号やぐら

釜利谷やぐら遺跡かまりややぐらいせきは、関東学院大学 横浜・金沢文庫キャンパス東側の丘陵地に位置する、中世の遺跡です。この辺りには、「白山道(しらやまみち/しらやまどう)」と呼ばれる、鎌倉から釜利谷...
鎌倉

貝吹地蔵

貝吹地蔵かいふきじぞうは、天園ハイキングコースの天園~瑞泉寺口間のちょうど中間付近に建つお地蔵様です。 鎌倉幕府が滅亡した1333年(元弘3年)、新田義貞らによる鎌倉攻めで最期を悟った鎌倉幕府...
葉山

新善光寺

新善光寺しんぜんこうじは、葉山・上山口にある浄土宗の寺院です。もとは鎌倉・名越の弁ヶ谷べんがやつにありましたが、天正年間(安土桃山時代)に現在地へ移転してきています。新善光寺の本堂や四脚門は、室...
葉山

吾妻神社(滝の坂不動尊)

葉山・一色の内陸部にある滝の坂に鎮座する吾妻神社(あづまじんじゃ/あずまじんじゃ)は、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る神社です。このあたりには、古代の東海道が走っていたと見られていて、日本...
鎌倉

本興寺・日蓮辻説法の碑

本興寺ほんこうじは、鎌倉幕府滅亡後の1336年(延元元年)に、日蓮聖人の直弟子である天目が、かつて、日蓮が辻説法をしていた小町大路沿いに創建した寺院です。この辺りは、ともに鎌倉幕府によって整備さ...
2024.08.11
鎌倉

八雲神社[山ノ内]

円覚寺の大船寄りに鎮座する八雲神社やくもじんじゃは、山ノ内全域の鎮守です。境内には、鎌倉市最古かつ最大の庚申塔とされる江戸時代前期・寛文五年銘の庚申塔や、火難除けの石として安倍晴明(あべ の せ...
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