こんぴら山は、神武寺境内の西側にそびえる山です。JR東逗子駅方面から表参道を登って行くと、向かって左手に見える丘陵地にあります。
こんぴら山やぐら群は、この山の山頂から一段下がった斜面に、神武寺境内の方を向く形で口を開けています。1969年(昭和44年)の逗子市による調査では、20数穴のやぐら(主に中世に造営された横穴式の墳墓または供養の場)が確認されていて、その形状や出土品の特徴から、鎌倉後期から室町初期に造られたやぐら群であると見られています。
INDEX
軍用地として接収されたため内部は空の状態のやぐら群
第二次世界大戦中、こんぴら山は軍用地として旧日本海軍によって接収されました。その際、こんぴら山やぐら群内部の石塔や骨などの出土品は、神武寺の住職によって移動されたと言います。そのため、現在は、こんぴら山やぐら群内部は空の状態です。
主な出土品としては、骨壺や土器、写経石などが見つかっています。この中の、緑釉の長頸瓶は、元の時代の中国北方で作られた輸入陶磁器とみられていて、とくにめずらしい形のものとされています。
しかしながら移動当時は、当然、発掘調査の期間などは与えてもらえるはずもなく、今では、こんぴら山やぐら群のどのやぐらにどのような石塔や出土品があったのかといった紐づけをすることは困難な状態になっています。
信仰の山であったと考えられる こんぴら山
こんぴら山の名前は、この地に金毘羅/金比羅を祀る社があったことに由来すると考えられますが、現在それを明確に伝えるものは残っていません。
こんぴら山の山頂付近には、石造のなにかの土台と考えられる残骸と、由緒は不詳の石祠、人工的に組んだものであるとみられる磐座のような巨岩群などが鎮座しています。それぞれの年代は不明ですが、神武寺や神武寺裏山の神の岳がそうであったように、こんぴら山も信仰の山であったことはうかがい知ることができます。
こんぴら山やぐら群への行き方
こんぴら山やぐら群へは、JR東逗子駅方面からの表参道と逗子中学校方面からの池子参道の分岐点より少しだけ表参道をJR東逗子駅方面に戻った先にあるわき道からアクセスすることができます。入口には、「こんぴらやぐら」と刻まれた石柱が立っています。細い山道を入って道なりに進むと、向かって左前方にやぐら群が見えてきます。
表参道の車地蔵付近にもこんぴら山やぐら群に通じる出入口がありますが、少々道が分かりにくいため、こんぴら山やぐら群へ入るには「こんぴらやぐら」石柱の入口からをおすすめします。
こんぴら山やぐら群からこんぴら山の頂上まではそれほど高低差はなく、すぐに登ることができます。こんぴら山の頂上には3級基準点があり、この地点の標高は120.4mです。
鎌倉・逗子で見られるその他の「やぐら」
逗子のやぐら群と言えばまんだら堂やぐら群(季節曜日限定公開)が有名です。
まんだら堂やぐら群は鎌倉・逗子でも最大規模のやぐら群のため、これほど大規模なものはなかなか見られませんが、以下のような場所でも、それぞれ特徴的なやぐらを見ることができます。