JR逗子駅西口からほど近い山の根の山すそに建つ旧本多邸は、東京で鉱山・船舶用の安全灯の製造販売業を営んでいた本多庄作氏が、久米設計創設者の久米権九郎に自邸として建築を依頼した、木造2階建ての洋館(西洋風住宅)です。戦前の1939年(昭和14年)に竣工されました。
旧本多邸は、久米権九郎が考案した「久米式耐震木骨構造」で設計された建築で、個人の邸宅としては、現存する唯一の建物です。
近年は30年以上に渡り空き家となっていましたが、2021年に久米設計が建物と土地を取得し、できるだけ建築当初の設計に基づいて修復・復元されて、2024年に改修工事が完了しました。
今後は久米設計の社員がサテライトオフィスとして利用する他、地域活動の拠点としてイベントなどでの活用も検討されています。
旧本多邸のような個人宅以外で「久米式耐震木骨構造」を用いた建築としては、日光金谷ホテル別館(1935年(昭和10年)竣工)と万平ホテルアルプス館(1936年(昭和11年)竣工)が現存しています。ともに日本を代表するクラシックホテルとして名高い名建築で、国の登録有形文化財(建造物)に指定されています。
2022年には「旧本多家住宅主屋」として、旧本多邸も国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。旧本多邸の設計思想や細部までこだわった意匠を知れば、日光金谷ホテルや万平ホテルに負けず劣らずの名建築であることがよく分かります。

INDEX
久米権九郎の設計理念を形にした久米式耐震木骨構造

旧本多邸を設計した久米権九郎は、ドイツで建築を学び、帰国後、今の久米設計の前身となる会社を創立しました。留学当初は化学を専攻していましたが、留学中に起きた関東大震災で、兄が滞在中のホテルの下敷きになって亡くなったことをきっかけに、建築を志すようになったと言います。
このため、久米権九郎の設計思想にはデザインより前に人命尊重という理念があり、後に、日本の在来工法である木造建築とドイツで学んだ近代的な建築理論を融合し耐震化をめざした、「久米式耐震木骨構造」の考案へつながっていくことになります。
久米式耐震木骨構造は、5cm角ほどの小柱を束ねた組柱を短めのスパンで並べ、その間に梁や貫といった横材を通してボルトで締めるという構造です。細い材を使うことで軽量化と経済性を実現でき、なおかつ、建物全体を鳥かごのような構造体とすることで、耐震性も高めています。

伝統を尊重しつつ新たな息吹を吹き込まれた旧本多邸

旧本多邸が久米権九郎による設計であることは、長年、久米設計としても把握しておらず、忘れられた存在だったと言います。
それが、あるとき、本多庄作氏の子孫が、誰も住まずに空き家となっていた旧本多邸内に残っていた書類を整理していたところ、旧本多邸の設計図が発見され、この建物が久米権九郎の設計で、久米式耐震木骨構造によるものであることが判明します。
このことがきっかけとなり、久米設計が建物と土地を取得し、改修が進められていくことになりました。
旧本多邸の改修にあたっては、オリジナルの久米式耐震木骨構造をいかしつつ、現代の耐震基準を満たす補強も取り入れたと言います。
旧本多邸の2階客間には、壁の一部がガラス張りすることで、実際に久米式耐震木骨構造を見られるようになっている場所が用意されています。

旧本多邸が建てられた時代背景

1889年(明治22年)に横須賀線の逗子駅が開業すると、華族や政治家、横須賀軍港に属する将校、外交官や貿易商などの外国人などが、海岸周辺を中心に、こぞって別荘を建てるようになりました。この、逗子における第一次別荘ブームとも言える時期に建てられた建物は、1923年(大正12年)に発生した関東大震災で強震による倒壊や津波による流失の被害を受けたこともあり、現存するものは多くありません。
関東大震災後の逗子駅周辺エリアでは、一部の特権階級・超富裕層のためのものだけでなく、一般の富裕層~中間層のための邸宅も多く建てられるようになっていきました。
旧本多邸が建てられたのもこのような時期になります。同じ時代の建物としては、旧正力家別邸や旧脇村家住宅(蘆花記念公園内)などが現存しています。旧正力家別邸や旧脇村家住宅が日本家屋をベースにしているのに対して、旧本多邸の意匠は当時としてもすでに懐古趣味と言えるくらい19世紀後半のアメリカやヨーロッパを意識した洋館として建てられました。施主の本多庄作氏が欧米へ渡った経験があり、現地で直に西洋の文化に触れていたためか、それは建物内部の、壁や天井の装飾、調度品にも徹底されています。
旧本多邸(旧本多家住宅主屋)の見どころ
1階 – 玄関・応接室
表玄関から建物に入ると、すぐ隣りには、開放的な連続窓が特徴の応接室があります。壁面のモールディングや天井のメダリオン(照明器具の装飾材)、大型の暖炉など、他にも見どころがつきません。







1階 – 廊下・食堂・台所
応接室の隣りには食堂があります。観音扉を開けると、庭に面したテラスと一体的になり、半屋外空間ができあがります。
廊下を挟んだ反対側にある台所も含めて、厨房や調理機器などの設備は最新のものに更新されています。





1階 – 居間(吹き抜け)・和室
1階の居間には広い吹き抜けがあります。基本的に細い木材で構成された旧本多邸の中ではめずらしい、太い梁が見られます。
吹き抜けの途中には日本画が飾られていて、居間の隣りにある和室とともに、このあたりは和洋折衷な空間になっています。






2階 – 各部屋
2階には、客間や寝室などがあります。このあたりも和室と洋室が隣り合う、和洋折衷の空間です。
2階の庭に面した側の窓からは、逗子の街並みを一望することができます。2階の眺望からは、旧本多邸が他の逗子駅周辺の建物よりも、一段高い丘の上に建てられていることもよく分かります。




小屋裏(屋根裏)
小屋裏(屋根裏)も、旧本多邸の構造がよく分かる場所です。熱循環のシステムが加えられています。
晴れた日の昼間は、ドーマー窓からの自然光だけでも、それなりの明るさが確保されています。


ステンドグラス
どこまでが建築当初のものか分かりませんが、多くの部屋で、ステンドグラスによる装飾が見られます。



室内窓
部屋と部屋、あるいは、部屋と廊下の間に、個性的な室内窓があしらわれているのも、旧本多邸の特徴の一つです。
たとえば、応接室と廊下の間の室内窓は、部屋の扉を開けて出入りしなくても、ちょっとした飲食物や資料の受け渡しくらいであればやり取りできそうな、回転窓になっています。


お手洗い・浴室
台所や食堂の設備などと同様に、お手洗いや浴室などの設備も、全面的に最新のものに置き換えられています。ただし、廊下に面した洗面台などは、まわりとの調和を重視した更新に留められています。



建物裏


旧本多邸(旧本多家住宅主屋)周辺の見どころ
山の根・久木・池子周辺(JR逗子駅西口)



逗子・新宿・桜山周辺(JR逗子駅東口)




