御嶽神社は、不入斗公園の西側に鎮座する、旧不入斗村の鎮守です。
かつては、不入斗公園東側の、現在の鶴久保小学校の敷地内にあった山上に鎮座していましたが、1898年(明治31年)に旧日本陸軍の用地になったため、現在地へ遷座されました。
御嶽神社の詳しい由緒は分かっていませんが、今からおよそ800年前に、奈良・吉野から蔵王権現を勧請したのがはじまりと伝えられています。江戸時代には、武蔵国から来た法印玄盛が蔵宝院(現存せず)という寺を建てて、蔵王権現社を管理していたと言います。
明治時代となり、神仏分離令が発令されると、全国の蔵王権現を祀る多くの神社と同様、御嶽神社と名前を改めました。
主祭神 | 天香語山命 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 鎌倉時代ごろ |
祭礼 | 1月1日 新年祭 2月節分 節分祭 2月10日 春祭 7月第4土曜日 例大祭 11月第4日曜日 秋祭 ※実際の日にちは異なる場合があります |
御嶽神社の鳥居の右側には、手水舎を挟むように、現在地に遷座する前の旧鳥居の支柱が保存されています。江戸時代後期の天保11年(1840年)に当時の名主らによって寄進されたことなどが刻まれています。
INDEX
横須賀市内でも最古級の遺跡があったラッパ山
御嶽神社(蔵王権現社)がはじめに創建された山を含め、現在の不入斗公園がある場所は、明治時代前期より、旧日本陸軍の横須賀重砲兵連隊の練兵場用地となり、買収が完了した土地から造営されていきました。
御嶽神社が現在の場所に移された後、神社が鎮座していた山は「ラッパ山」と呼ばれるようになりました。そこで兵隊がラッパの練習をしていたからなどと言われていますが、正確な由来は分かりません。
このラッパ山からは、1万年~2万年ほど前の旧石器時代や縄文・弥生時代の生活の痕跡が見つかっていて、横須賀市内でもっとも古くから人間が暮らしていた場所の一つであったことが確認されています。
残念ながら、ラッパ山の遺跡は、出土品を除いて、戦後、横須賀重砲兵連隊の練兵場跡地に不入斗公園が造られる際に山ごと失われてしまいました。
御嶽神社(蔵王権現社)は、このような太古の昔から人の営みがあったような場所に創建されていることから、その歴史は800年どころではなく、もっともっと昔から、前身となる原始的な神社があったのかもしれません。
生き生きとした御嶽神社のイチョウの古木
御嶽神社の境内にはイチョウの古木が数本立っていて、目を見張ります。明治時代に、この場所に遷宮されたとき以降に植樹されたものでしょうから、樹齢はそこまで古くはないはずです。
古すぎると衰えが見えてくるものですが、これくらいの樹齢の木はまだまだ生き生きとしていて、「古木」などと言うと失礼かもしれません。
御嶽神社のイチョウは、木の一生のなかで、まさに今が見ごろの時期と言えるでしょう。
御嶽神社(不入斗)境内の見どころ
御嶽神社には、境内社として稲荷社が祀られている他、浅間大神講中の碑が建てられています。