川端康成、夏目漱石、芥川龍之介、与謝野晶子ら、鎌倉にゆかりがある文学者は数えきれないほどいます。
鎌倉文学館は、鎌倉文士とも呼ばれる、彼ら・彼女らの直筆原稿や手紙、愛用品などを所蔵・展示する文学館です。敷地内には、数多くの文学碑も建てられています。
鎌倉文学館の広大な庭園と建物は、かつての、加賀百万石の藩主として知られる前田利家の系譜である旧前田侯爵家の別邸です。
1983年(昭和58年)に鎌倉市に寄贈され、補修や増改築を経て、1985年(昭和60年)に鎌倉文学館として開館しました。
鎌倉文学館の庭園にあるバラ園では、毎年春と秋に、202種、245株のバラを鑑賞することができます。
1889年(明治22年)に横須賀線が開通して鎌倉駅が開設された後、明治期~昭和初期に数多く建てられた鎌倉の別荘のなかでも、鎌倉文学館(旧前田侯爵家別邸)はとくに大規模で豪奢な建築の一つです。当時の面影を今に伝える建物や庭園は、貴重な鎌倉の別荘建築の遺産です。
INDEX
鎌倉を代表する鎌倉文学館のバラ園
鎌倉文学館のバラ園は、鎌倉を代表するバラの名所として知られています。春と秋のバラが見ごろを迎える季節には、「鎌倉文学館」の史料や建物の見学ではなく、明らかにバラ園のみをお目当に訪れたというような人も多く見られます。
鎌倉文学館の庭園で植栽されている202種、245株のバラには、「鎌倉」や「かまくら小町」「大姫」「実朝」など、鎌倉にゆかりの深い名前を持つものも多くあります。例年、バラが見ごろの時期に開催される「バラまつり」では、庭園のどこにどのバラが植栽されているか詳しく解説したチラシも配布されていますので、これを見ながら鑑賞すると、より深く楽しめます。
別荘地としての鎌倉をしのぶ西洋館と庭園
鎌倉文学館の本館は1936年(昭和11年)に建てられたもので、ハーフティンバーとスパニッシュを基調とした西洋館に、切妻屋根と深い軒出といった和風のデザインを取り入れた建築です。明治期から昭和初期までの建築にしばしば見られる、和洋折衷の独特な外観が特徴です。
建物の内部も、アールデコの様式を基調として、ステンドグラスやすべて違うデザインの照明器具など、歴史的な建築としても見ごたえがあります。
芝生広場が広がる庭園には、樹齢200年を超えるオオムラサキツツジやスダジイの巨木なども植栽されていますので、バラの季節以外でも、散策してみることをオススメします。
本館や庭園はちょうど南側の由比ヶ浜に向いて開けているため、眼下に相模湾を望むことができます。
そこかしこの名前に残る鎌倉時代の面影
正門から鎌倉文学館の敷地に入ると、緩やかなカーブと傾斜がつづく道を登って行くことになります。木々の緑がとてもキレイなアプローチを登りきると、目の前に本館が姿を現わします。
正門から本館までのアプローチの途中には、短いトンネルが一つあります。このトンネルは招鶴洞と言い、源頼朝が鶴を放ったという故事から名づけられています。
鎌倉文学館の本館の玄関には、「長楽山荘」という表札が掲げられています。
鎌倉文学館は笹目ヶ谷と呼ばれる谷戸にあります。ここには鎌倉時代に長楽寺という寺院があったことから、このあたりの谷戸をとくに、長楽寺ヶ谷とも呼んでいたようです。
長楽寺とは、1225年(嘉禄元年)に、北条政子が夫・源頼朝の菩提を弔うために創建した寺院です。その後、1333年(元弘元年)に、新田義貞の鎌倉攻めの兵火によって焼失してしまい、他の寺院と統合して現在の安養院に受け継がれています。安養院という名称は、北条政子の法名からとられたものです。
鎌倉文学館は鎌倉三大洋館の一つ
鎌倉文学館(旧前田侯爵家別邸)は、明治期~昭和初期に数多く建てられた鎌倉の別荘のなかでもとくに大規模で豪奢な建築の一つで、本館は2000年に、国の登録有形文化財に指定されました。
また、浄明寺の旧華頂宮邸、扇ガ谷の古我邸(旧荘清次郎別邸)とともに、鎌倉三大洋館の一つに数えられています。