巨福呂坂洞門は、かつて、鎌倉の雪の下と北鎌倉の山ノ内を結んでいた古道「巨福呂坂(小袋坂、巨福呂坂切通し)」の新道にあたる道路です。
「洞門」という名前が付けられていますが、完全なトンネルになっているわけではありません。アーチ状の落石防護施設の天井には、六角形に切り抜かれた開口部が並んでいて、昼間は洞門内に自然光が差し込みます。景観や災害にも配慮した、現代の切通しと言えます。
旧道の巨福呂坂は廃道となっていて、いわゆる「鎌倉七口(鎌倉七切通)」の中で唯一、通り抜けることができない切通しです。明治期に現在の県道21号(鎌倉街道)となる新道が開削されたため、廃れたものと考えられます。
その後、この新道は、何度か大きな改修工事を受けた後、1993年にアーチ状の落石防護施設を伴う現在の姿になりました。
巨福呂坂洞門の山ノ内(北鎌倉)側の向かって右側には、もう一つ、こちらは完全なトンネルの巨福呂坂送水管路ずい道の入口があります。このトンネルは、明治期に建設された横須賀海軍工廠(旧横須賀製鉄所・横須賀造船所、現在の米海軍横須賀基地内)に神奈川県西部の水源地や相模川から水を供給するために通された横須賀水道の施設で、現在も横須賀市上下水道局が管理しています。
この巨福呂坂送水管路ずい道の反対側は、巨福呂坂の旧道の、雪ノ下(鎌倉)側の中腹(旧道はその先で行き止まり)につながっています。
巨福呂坂洞門周辺の見どころ
鎌倉・雪ノ下側
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北鎌倉・山ノ内側
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