明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家・泉鏡花の中編小説「草迷宮」は、以下の一節ではじまります。
三浦の大崩壊を、魔所だと云う。
泉鏡花「草迷宮」(1908)
葉山一帯の海岸を屏風で劃った、桜山の裾が、見も馴なれぬ獣のごとく、洋へ躍込んだ、一方は長者園の浜で、逗子から森戸、葉山をかけて、夏向き海水浴の時分、人死にのあるのは、この辺ではここが多い。
ここに出てくる「大崩壊」とは、葉山町と横須賀市の境に位置する、長者ヶ崎の断崖絶壁のことを指しています。
「大崩」は、長者ヶ崎の南側の旧地名(秋谷の字名)でもありました。
長者ヶ崎の南側に位置する海岸は、一般に定着している名称がありません。
地元の自治体である神奈川県や横須賀市では「秋谷海岸(久留和地区)」や「横須賀海岸(大崩浜田地区)」という表記を使用していますが、これらはあくまで行政上の区画による管理上の名称のため、ここでは使用しません。
ここでは、海岸に面する旧地名(秋谷の字名)にしたがって、「大崩」を使用しています。
また、範囲としては、地形的な一体感のある、長者ヶ崎の南側から久留和海岸や久留和漁港の北側までを大崩海岸として扱っています。
2024年海水浴場 | × 大崩海岸は海水浴場ではありません |
2024年海の家開設 | × |
公衆トイレ | ○(長者ヶ崎駐車場にあり) |
駐車場 | ○ 長者ヶ崎駐車場 |
INDEX
地名が地形を表わしている典型例
長者ヶ崎を挟んで、北側が葉山町で、南側が横須賀市です。
葉山側には、例年夏には海水浴場が開設される長者ヶ崎・大浜海岸や県立葉山公園があり、そのさらに北側には一色海岸があるような、人気のエリアです。
一方の横須賀側はの海岸は、訪れる人も少なく、さらに南側に下った立石公園周辺までは落ち着いた雰囲気が続きます。(立石公園には、泉鏡花の「草迷宮」の文学碑が建っています)
そんな大崩海岸の周辺も、現在は海岸線沿いに国道134号が走り整備されていますが、泉鏡花が「草迷宮」を書いた当時は、長者ヶ崎で見られる崖崩れの後のような岩肌が海岸線に沿って続くような、もっと殺伐とした雰囲気が漂っていたものと想像します。
古い地名は、その土地の地形や成り立ちを表わしていることが多いですが、「大崩」とはその典型例と言えるかもしれません。
大崩は戦国時代の古戦場
このような特徴を持つ大崩の地は、戦国時代の武将・三浦道寸(義同)が、北条早雲(伊勢宗瑞)と戦った古戦場でもあります。現在の伊勢原市にあった岡崎城にいた三浦道寸は北条早雲に攻められ、三浦半島へと後退していきます。その途中、切り立った崖が続く要害の地であった大崩を戦場に選んで、早雲の軍勢を迎え撃っています。
しかし、北条早雲の勢いをくい止めることはできずに、三浦道寸は油壺の新井城までさらに後退させられます。3年もの間、籠城戦をくり広げますが、新井城で道寸とその一族は滅亡します。鎌倉時代に続いて、三浦一族は再び「北条氏」を名乗る勢力に滅ぼされたことになります。
波の立つ日にはサーファーたちが集う
大崩海岸は、かつてはもっと広い砂浜を有していましたが、1980年代までにこの南側に整備された久留和漁港の防波堤の影響で、砂浜の浸食が起こりました。国道134号の歩道が崩壊するなどの被害も発生するようになったことから、2006年から神奈川県によってその対策が行われました。
これには、「レキ養浜(礫養浜)」という、沖合に人工の構造物を設置せずに、海岸に砂浜を供給する方式がとられました。
2021年現在は、浸食が激しかった2000年代初頭よりは回復しています。
入り江のような囲まれ感のある海岸ではなく、波が高いことが多く海水浴には適していませんが、その分、サーファーたちが多く訪れます。
横須賀市内初のデザインバス停
2020年7月から、大崩海岸の上を走る国道134号のバス停「峯山」が、デザインバス停「ハートフル バスストップ」という仕様になっています。
これは、横須賀市と横須賀市立横須賀総合高等学校美術部、京急バスのコラボレーションによるもので、横須賀総合高等学校美術部の生徒による横須賀西海岸の海をイメージしたイラストが描かれています。