【三浦半島】横須賀・三浦・葉山・逗子・鎌倉の史跡

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横須賀

怒田城跡(怒田城址)&吉井貝塚

怒田城ぬたじょうは、現在の横須賀市吉井よしいにある、平安時代から鎌倉時代にかけての三浦一族の山城で、三浦水軍の拠点でした。すぐ近くには三浦半島最大の河川で、怒田城付近から2kmほど下った久里浜海岸で...
横浜

上総介塔(上総広常の墓)

上総広常かずさ ひろつね(上総介広常)は、平安時代末期から鎌倉時代前夜にかけて活躍した武将です。房総半島の上総国の領主であったことから、上総氏を名乗っていました。本姓は、同じ時代に三浦半島を収めてい...
2022.04.16
横浜

朝夷奈切通(朝比奈切通し)

朝夷奈切通あさいなきりどおしは、鎌倉の中心部と、中世以降東京湾に面した鎌倉の外港(貿易港)として栄えた六浦方面(現在の横浜市金沢区)を結ぶ古道で、現在の鎌倉市と横浜市の市境にあります。現在の地名であ...
2022.04.15
鎌倉

梶原太刀洗水

梶原太刀洗たちあらい水は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将・梶原景時かじわら かげときが、同じく平安時代末期から鎌倉時代前夜にかけて活躍した武将・上総広常かずさ ひろつねを討った後に...
2022.04.15
横須賀

衣笠城跡(衣笠城址)

衣笠城きぬがさじょうは、平安時代から鎌倉時代にかけて三浦半島を領地としていた三浦氏の本拠地だった城です。ちょうど、三浦半島の中央に位置しています。現在の久里浜海岸に注ぐ、衣笠城の近くを流れる平作川に...
2022.04.08
三浦

和田義盛の碑(和田義盛旧里碑)・八雲神社[初声町和田]

和田八雲神社の境内に建つ「和田義盛わだ よしもりの碑」は、鎌倉で非業の最期を遂げた義盛をしのんで、1921年(大正10年)、義盛の居館(屋敷)があったとされる場所の近辺に建立されたものです。和田義盛...
三浦

和田城跡(和田城址)

平安時代後期から鎌倉時代初期に活躍した武将・和田義盛わだ よしもりは、現在の三浦市初声はっせ町和田周辺を所領としていました。和田義盛の父・杉本義宗は鎌倉の杉本城(杉本寺の裏山)を本拠地としていました...
鎌倉

来迎寺(材木座)

来迎寺は、鎌倉幕府創設の礎となった三浦大介義明の霊を弔うために、源頼朝が開基となって能蔵寺を建立したのがはじまりです。はじめは真言宗の寺院でしたが、頼朝の死後、音阿上人が時宗に改宗し、来迎寺に改...
葉山

鐙摺城跡・旗立山(軍見山)

「鐙摺(あぶずり)」は、現在の逗子市との境にある葉山町の古い地名です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて、このあたりに、三浦一族が支城の一つ鐙摺城を構えていました。城主は、このあたりを治めていた三浦一...
鎌倉

由比若宮(元八幡、元鶴岡八幡宮)

由比若宮ゆいわかみや(元八幡)は、源頼朝の5代前の祖先にあたる源頼義が、京都の石清水八幡宮から河内源氏の氏神である八幡神を勧請して鎌倉の由比郷に祀ったのがはじまりです。戦の鎮圧に中心的役割を果た...
横須賀

薬王寺旧跡・三浦義澄の墓

三浦義澄みうら よしずみ(幼名:荒次郎、次郎)は、鎌倉幕府創設期の三浦一族の当主です。荒次郎や次郎といった幼名からも分かるように、三浦義澄は、1180年(治承4年)の源頼朝挙兵時に衣笠城で討ち死にし...
鎌倉

三浦泰村一族の墓

源頼朝法華堂跡(源頼朝の墓)の隣りにある、北条義時法華堂跡(北条義時の墓)の山すそに、三浦泰村一族の墓と伝わるやぐらがあります。 三浦泰村みうら やすむらは鎌倉時代前期の武将・三浦義村の次男で...
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