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朝夷奈切通(朝比奈切通し)| 鎌倉七口の一つで鎌倉と貿易港として栄えた六浦を結ぶ古道

朝夷奈切通・大切通(撮影日:2018.03.18) 横浜
朝夷奈切通・大切通(撮影日:2018.03.18)

朝夷奈切通あさいなきりどおしは、鎌倉の中心部と、中世以降東京湾に面した鎌倉の外港(貿易港)として栄えた六浦方面(現在の横浜市金沢区)を結ぶ古道で、現在の鎌倉市と横浜市の市境にあります。現在の地名である「朝比奈あさひな」を用いて、「朝比奈切通しあさひなきりどおし」と表現される場合もあります。「鎌倉七口かまくらななくち鎌倉七切通)」の一つに数えられていて、切通から少し外れた場所に鎮座する熊野神社の境内を含めて、国の史跡に指定されています。

朝夷奈切通の開削以前にも鎌倉と六浦方面を結ぶ生活路はいくつかあったと考えられていますが、現在の切通のルートは、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時の指揮の下、工事が進められました。
北条泰時は鎌倉の重要な外港(貿易港)となった六浦に、弟の実泰を配しました。称名寺金沢文庫を建立するなど、実泰の子・実時からは三代に渡って、朝夷奈切通の外側に、金沢北条氏として独自の文化を築いていきました。

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朝夷奈(朝比奈)の地名の由来

金沢北条氏以前に六浦を治めていたのは三浦一族和田氏でしたが、1213年(建暦3年)に起きた和田義盛の乱(和田合戦)で鎌倉幕府第2代執権・北条義時らに敗れて、和田一族は滅亡しました。


朝夷奈切通には、和田義盛の乱でも活躍したとされる和田一族朝夷名(朝比奈)義秀が一夜にして切り開いたという伝説が残っていて、切通の名前もここから付けられたとされています。
なお、義秀和田義盛の三男ですが、和田氏ではなく朝比奈氏を名乗ったのは、安房国朝夷郡(現在の千葉県南部)に領地を持っていたためです。

江戸時代以降に新田開発されるまで、六浦(現在の平潟湾周辺)は現在よりもかなり内陸まで入り江が入り込んでいました。六浦には明治末期まで塩田があり、朝夷奈切通を含む六浦道は鎌倉に塩を運ぶ道としても使用されていました。
1956年(昭和31年)に切通を迂回する現在の県道204号(金沢街道)が開通するまでは幹線道路として使用されてきましたが、切通の峠道区間は開発の手を逃れたため、「鎌倉七口」の中でも古道の姿をとどめている切通の一つとされています。

朝夷奈切通・横浜側の入口近くの切通(撮影日:2022.04.13)
朝夷奈切通・横浜側の入口近くの切通(撮影日:2022.04.13)
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朝夷奈切通(朝比奈切通し)の特徴

峠の頂上付近の大切通

朝夷奈切通の頂上付近にあたる大切通は、垂直に深く切立った崖が左右に迫っていて、迫力があります。

大切通の周辺の崖では、いろいろな場所で、横穴式の中世の墓または供養の場であるやぐらが口を開けています。切通周辺を葬送の場とする傾向は、名越切通なごえきりどおしまんだら堂やぐら群に代表されるように、鎌倉市中との境界である「鎌倉七口」ではよく見られます。

朝夷奈切通・大切通を横浜・金沢区側から見る(撮影日:2018.03.18)
朝夷奈切通・大切通を横浜側から見る(撮影日:2018.03.18)
朝夷奈切通・大切通を鎌倉側から見る(撮影日:2018.03.18)
朝夷奈切通・大切通を鎌倉側から見る(撮影日:2018.03.18)
朝夷奈切通・大切通付近の上部を見上げる(撮影日:2018.03.18)
朝夷奈切通・大切通付近の上部を見上げる(撮影日:2018.03.18)

江戸時代の改修工事の痕跡が残る

朝夷奈切通・横浜側の入口付近に建つ庚申塔(撮影日:2022.04.13)
朝夷奈切通・横浜側の入口付近に建つ庚申塔(撮影日:2022.04.13)

切通や切通の入口付近には江戸時代に建立されたものと見られるお地蔵様や供養塔などが残っていて、近年の調査でも江戸時代まで何度も改修工事がされてきた跡があることが分かっています。

朝夷奈切通・道端に立つ延宝年間建立の文字が残る地蔵様(撮影日:2018.03.18)
朝夷奈切通・道端に立つ延宝年間建立の文字が残る地蔵様(撮影日:2018.03.18)
朝夷奈切通・大切通付近の磨崖仏(撮影日:2018.03.18)
朝夷奈切通・大切通付近の磨崖仏(撮影日:2018.03.18)

側溝が設けられた沢のような峠道

朝夷奈切通・側溝付きの峠道(撮影日:2018.03.18)
朝夷奈切通・側溝付きの峠道(撮影日:2018.03.18)

朝夷奈切通は、とくに雨が降った後などには道全体が沢のような状態になります。往時からそのようなことが課題と考えられていたのか、道に側溝が設けられているのが特徴的です。

やがて、いろいろな場所から流れてきた小川は合流をくり返して、滑川となって、由比ヶ浜材木座海岸で相模湾に注ぎます。

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朝夷奈切通(朝比奈切通し)に残る鎌倉時代の面影

朝比奈義秀の伝説が由来の三郎の滝

朝夷奈切通の鎌倉側で小川が合流する場所には、通称「三郎の滝」と呼ばれる滝があります。
三郎の滝の「三郎」は、朝夷奈切通を一夜にして切り開いたという伝説が残る朝夷名(朝比奈)義秀の幼名に由来しています。

朝夷奈切通・鎌倉側入口付近(撮影日:2018.03.14)
朝夷奈切通・三郎の滝がある鎌倉側入口付近(撮影日:2018.03.14)

朝夷奈切通は上総広常ゆかりの地

源頼朝による平家討伐の、初期の戦いにおいて大きな貢献をした上総広常かずさ ひろつねは、鎌倉での館(屋敷)を朝夷奈切通沿いに構えていたとされています。そのため、朝夷奈切通上総広常ゆかりの地でもあります。
その上総広常は、源頼朝の命を受けた梶原景時によって暗殺されてしまいます。梶原景時上総広常を討った後に太刀を洗ったとされる湧水「梶原太刀洗水」が、三郎の滝から少し鎌倉方面に戻った場所にあります。

上総広常の墓または供養塔と伝わる五輪塔「上総介塔」は、朝夷奈切通の横浜側の入口付近にあります。

鎌倉市中と東京湾方面を結ぶその他のルート

三郎の滝の前からは、現在の十二所果樹園方面へ道が分岐していて、かつてはこちらの道も、鎌倉から六浦などの三浦半島の東京湾側へ抜けるルートとして使われていたものと考えられます。

現在も、逗子市との境にある池子の森をかすめるように、京急逗子線の六浦駅方面に抜ける山道が利用できます。

また、朝夷奈切通の北側には、鎌倉中心部から称名寺金沢文庫方面に抜ける道として白山道しらやまみちという古道も存在していました。横横道路や住宅地、大学のキャンパス、霊園などの開発によって往時のルートそのままというわけではありませんが、こちらもその面影をたどることができます。

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朝夷奈切通(朝比奈切通し)周辺の見どころ

梶原太刀洗水
梶原太刀洗たちあらい水は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将・梶原景時かじわら かげときが、同じく平安時代末期から鎌倉時代前夜にかけて活躍した武将・上総広常かずさ ひろつねを討った後に...
十二所果樹園
十二所果樹園じゅうにそかじゅえんは、約400本の梅の木が植えられている、鎌倉最大の梅林です。そのほとんどが白梅で、白梅の名所として知られています。見ごろは、例年、2月下旬から3月中旬です。寺社を中心...
十二所神社(鎌倉)
十二所神社じゅうにそじんじゃは、鎌倉時代中期に創建された、鎌倉・十二所の鎮守です。古くは熊野十二所の社として光触寺の境内にありましたが、1838年(天保9年)に現在地に再建されました。十二所権現...
朝比奈熊野神社
朝比奈あさひな熊野神社くまのじんじゃは、源頼朝が鎌倉幕府の艮方(鬼門)を守護するために、熊野三社を勧請したことがはじまりと伝えられています。仁治年間には、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時が、近くに朝...
上総介塔(上総広常の墓)
上総広常かずさ ひろつね(上総介広常)は、平安時代末期から鎌倉時代前夜にかけて活躍した武将です。房総半島の上総国の領主であったことから、上総氏を名乗っていました。本姓は、同じ時代に三浦半島を収めてい...

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鎌倉七口

DATA

住所 横浜市金沢区朝比奈町字峠坂1番地、鎌倉市十二所
アクセス
行き方

●鎌倉駅からバス利用の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉霊園正面前太刀洗」行き、「金沢八景駅」行きで『十二所神社』下車徒歩約20分

●金沢八景駅からバス利用の場合
京急線・金沢シーサイドライン「金沢八景駅」より京急バス「鎌倉駅」行き、または神奈川中央交通バス「大船駅」行き、「上郷ネオポリス」行きで、『朝比奈』下車徒歩約10分
※横浜側入口が通行止めの場合は、京急バス「鎌倉駅」行きで『十二所神社』下車徒歩約20分の鎌倉側入口経由で通行可能

●徒歩の場合
京急逗子線「六浦駅」より徒歩約40分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約1時間5分

駐車場 なし
電話番号 045-671-3282(横浜市 教育委員会 事務局総務部 生涯学習文化財課)
ウェブサイト https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/kyodo-manabi/bunkazai/isan/asaina.html
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