朝夷奈切通は、鎌倉の中心部と、中世以降東京湾に面した鎌倉の外港(貿易港)として栄えた六浦方面(現在の横浜市金沢区)を結ぶ古道で、現在の鎌倉市と横浜市の市境にあります。現在の地名である「朝比奈」を用いて、「朝比奈切通し」と表現される場合もあります。「鎌倉七口(鎌倉七切通)」の一つに数えられていて、切通から少し外れた場所に鎮座する熊野神社の境内を含めて、国の史跡に指定されています。
朝夷奈切通の開削以前にも鎌倉と六浦方面を結ぶ生活路はいくつかあったと考えられていますが、現在の切通のルートは、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時の指揮の下、工事が進められました。
北条泰時は鎌倉の重要な外港(貿易港)となった六浦に、弟の実泰を配しました。称名寺や金沢文庫を建立するなど、実泰の子・実時からは三代に渡って、朝夷奈切通の外側に、金沢北条氏として独自の文化を築いていきました。
INDEX
朝夷奈(朝比奈)の地名の由来
金沢北条氏以前に六浦を治めていたのは三浦一族の和田氏でしたが、1213年(建暦3年)に起きた和田義盛の乱(和田合戦)で鎌倉幕府第2代執権・北条義時らに敗れて、和田一族は滅亡しました。
朝夷奈切通には、和田義盛の乱でも活躍したとされる和田一族の朝夷名(朝比奈)義秀が一夜にして切り開いたという伝説が残っていて、切通の名前もここから付けられたとされています。
なお、義秀は和田義盛の三男ですが、和田氏ではなく朝比奈氏を名乗ったのは、安房国朝夷郡(現在の千葉県南部)に領地を持っていたためです。
江戸時代以降に新田開発されるまで、六浦(現在の平潟湾周辺)は現在よりもかなり内陸まで入り江が入り込んでいました。六浦には明治末期まで塩田があり、朝夷奈切通を含む六浦道は鎌倉に塩を運ぶ道としても使用されていました。
1956年(昭和31年)に切通を迂回する現在の県道204号(金沢街道)が開通するまでは幹線道路として使用されてきましたが、切通の峠道区間は開発の手を逃れたため、「鎌倉七口」の中でも古道の姿をとどめている切通の一つとされています。
朝夷奈切通(朝比奈切通し)の特徴
峠の頂上付近の大切通
朝夷奈切通の頂上付近にあたる大切通は、垂直に深く切立った崖が左右に迫っていて、迫力があります。
大切通の周辺の崖では、いろいろな場所で、横穴式の中世の墓または供養の場であるやぐらが口を開けています。切通周辺を葬送の場とする傾向は、名越切通のまんだら堂やぐら群に代表されるように、鎌倉市中との境界である「鎌倉七口」ではよく見られます。
江戸時代の改修工事の痕跡が残る
切通や切通の入口付近には江戸時代に建立されたものと見られるお地蔵様や供養塔などが残っていて、近年の調査でも江戸時代まで何度も改修工事がされてきた跡があることが分かっています。
側溝が設けられた沢のような峠道
朝夷奈切通は、とくに雨が降った後などには道全体が沢のような状態になります。往時からそのようなことが課題と考えられていたのか、道に側溝が設けられているのが特徴的です。
やがて、いろいろな場所から流れてきた小川は合流をくり返して、滑川となって、由比ヶ浜・材木座海岸で相模湾に注ぎます。
朝夷奈切通(朝比奈切通し)に残る鎌倉時代の面影
朝比奈義秀の伝説が由来の三郎の滝
朝夷奈切通の鎌倉側で小川が合流する場所には、通称「三郎の滝」と呼ばれる滝があります。
三郎の滝の「三郎」は、朝夷奈切通を一夜にして切り開いたという伝説が残る朝夷名(朝比奈)義秀の幼名に由来しています。
朝夷奈切通は上総広常ゆかりの地
源頼朝による平家討伐の、初期の戦いにおいて大きな貢献をした上総広常は、鎌倉での館(屋敷)を朝夷奈切通沿いに構えていたとされています。そのため、朝夷奈切通は上総広常ゆかりの地でもあります。
その上総広常は、源頼朝の命を受けた梶原景時によって暗殺されてしまいます。梶原景時が上総広常を討った後に太刀を洗ったとされる湧水「梶原太刀洗水」が、三郎の滝から少し鎌倉方面に戻った場所にあります。
上総広常の墓または供養塔と伝わる五輪塔「上総介塔」は、朝夷奈切通の横浜側の入口付近にあります。
鎌倉市中と東京湾方面を結ぶその他のルート
三郎の滝の前からは、現在の十二所果樹園方面へ道が分岐していて、かつてはこちらの道も、鎌倉から六浦などの三浦半島の東京湾側へ抜けるルートとして使われていたものと考えられます。
現在も、逗子市との境にある池子の森をかすめるように、京急逗子線の六浦駅方面に抜ける山道が利用できます。
また、朝夷奈切通の北側には、鎌倉中心部から称名寺や金沢文庫方面に抜ける道として白山道という古道も存在していました。横横道路や住宅地、大学のキャンパス、霊園などの開発によって往時のルートそのままというわけではありませんが、こちらもその面影をたどることができます。
朝夷奈切通(朝比奈切通し)周辺の見どころ
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