鎌倉

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横浜

朝夷奈切通(朝比奈切通し)

朝夷奈切通あさいなきりどおしは、鎌倉の中心部と、中世以降東京湾に面した鎌倉の外港(貿易港)として栄えた六浦方面(現在の横浜市金沢区)を結ぶ古道で、現在の鎌倉市と横浜市の市境にあります。現在の地名であ...
2022.04.15
鎌倉

梶原太刀洗水

梶原太刀洗たちあらい水は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将・梶原景時かじわら かげときが、同じく平安時代末期から鎌倉時代前夜にかけて活躍した武将・上総広常かずさ ひろつねを討った後に...
2022.04.15
鎌倉

散在ガ池森林公園(鎌倉湖)

散在ガ池さんざがいけは灌漑用として造られた人造湖で、通称「鎌倉湖」とも呼ばれています。周辺が宅地化されてからは、調整池としての役割に変わっていきました。 湖の周辺は散策路が整備されていて、森林...
2022.04.02
歴史上の人物

北条義時ゆかりの地

鎌倉幕府第2代執権である北条義時ほうじょう よしときは、その影響力がまだ関東を中心としたものだった鎌倉幕府を、全国的な武家政権へと押し上げた立役者です。 鎌倉幕府の初代将軍(鎌倉殿)であった源...
2022.04.01
鎌倉

来迎寺(材木座)

来迎寺は、鎌倉幕府創設の礎となった三浦大介義明の霊を弔うために、源頼朝が開基となって能蔵寺を建立したのがはじまりです。はじめは真言宗の寺院でしたが、頼朝の死後、音阿上人が時宗に改宗し、来迎寺に改...
鎌倉

由比若宮(元八幡、元鶴岡八幡宮)

由比若宮ゆいわかみや(元八幡)は、源頼朝の5代前の祖先にあたる源頼義が、京都の石清水八幡宮から河内源氏の氏神である八幡神を勧請して鎌倉の由比郷に祀ったのがはじまりです。戦の鎮圧に中心的役割を果た...
鎌倉

三浦泰村一族の墓

源頼朝法華堂跡(源頼朝の墓)の隣りにある、北条義時法華堂跡(北条義時の墓)の山すそに、三浦泰村一族の墓と伝わるやぐらがあります。 三浦泰村みうら やすむらは鎌倉時代前期の武将・三浦義村の次男で...
鎌倉

大江広元の墓・毛利季光の墓・島津忠久の墓

源頼朝法華堂跡(源頼朝の墓)の隣りにある、北条義時法華堂跡(北条義時の墓)の奥の階段を登って行くと、大江広元、毛利季光、島津忠久各氏の墓が並んで建っています。階段は2つに分かれていて、左側を登ると大...
鎌倉

寿福寺・源実朝と北条政子の墓

寿福寺じゅふくじ(壽福寺)は、源頼朝の死の翌年に、北条政子が頼朝の菩提を弔うために開いた禅宗寺院です。山号になっている「亀谷山」は、寺の背後にある源氏山の別名です。鎌倉五山第三位に列せられ、最盛...
2021.12.12
鎌倉

杉本寺(杉本観音)

杉本寺は、734年(天平6年)に聖武天皇の后である光明皇后が行基ぎょうきと藤原房前ふじわらのふささきに命じて建立したと伝わっている、鎌倉最古の寺院です。実に、源頼朝が鎌倉幕府を開く、およそ450...
2021.12.03
鎌倉

巨福呂坂(小袋坂、巨福呂坂切通し)

巨福呂坂こぶくろざかは、鎌倉の雪の下と北鎌倉の山ノ内を結んでいた古道です。「小袋坂」や「巨福呂坂切通し」と表現される場合もあります。「鎌倉七口かまくらななくち(鎌倉七切通)」の一つに数えられていて、...
鎌倉

極楽寺坂切通

極楽寺坂切通は、鎌倉の長谷・坂ノ下と、極楽寺や七里ヶ浜、藤沢方面を結ぶ古道です。「極楽寺切通し」と表現される場合もあります。「鎌倉七口かまくらななくち(鎌倉七切通)」の一つに数えられていますが、七つ...
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