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源頼朝ゆかりの地 | 鎌倉入りから概ね年代順の厳選スポット&周辺地域の足跡をたどる

源頼朝ゆかりの地 | 鎌倉入りから概ね年代順の厳選スポット&周辺地域の足跡をたどる 歴史上の人物
三浦半島日和おすすめ記事

当然のことながら、鎌倉には、鎌倉幕府を創設した源頼朝ゆかりの場所が数多くあります。その正確な数を把握することはできませんが、鎌倉時代に起源をもつ寺社などの少なくとも半数以上は、何らかの形で頼朝が関わっていたり、頼朝にまつわる逸話が残されているかもしれません。それくらい、鎌倉と頼朝は、切っても切れない縁で結ばれています。
ここでは、頼朝が鎌倉入りを果たしてから、概ね年代順にたどるかたちで、ゆかりの深い10か所をピックアップしてご紹介します。

また、鎌倉の他にも、頼朝を支える有力な御家人である三浦一族の所領であった三浦半島には、頼朝ゆかりの場所が多くあります。鎌倉の由比ヶ浜から舟で気軽に行ける葉山や三崎は、頼朝の時代から首都(鎌倉)圏のリゾート地だったのでしょう。それらのいくつかもあわせてご紹介します。

インフォメーション

・各施設の料金などは、2022年1月9日現在の情報になります。

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鎌倉編

源頼朝ゆかりの地マップ-鎌倉編

源氏と鎌倉とのはじまりの地 由比若宮

源頼朝が創建したことで知られる鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)、源頼朝の五代前の祖先にあたる源頼義が、現在の鎌倉の材木座に、京都の石清水八幡を勧請したことにはじまります。
この神社は今も由比若宮ゆいわかみやとして残っていて、元八幡元鶴岡八幡宮とも呼ばれています。
1180年(治承4年)、平家打倒の本拠地として源氏ゆかりの鎌倉を選んだ頼朝は、海に近いこの場所ではなく、三方を山で囲まれた平野のもっとも奥の、現在鶴岡八幡宮がある場所に源氏の氏神である八幡神を遷します。

●住所
鎌倉市材木座1-7

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
なし

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、徒歩約13分
または、江ノ電「和田塚駅」より、徒歩約11分

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源頼朝が創建した幕府の象徴 鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮を現在の場所に遷した源頼朝は、この場所を中心に鎌倉のまちづくりをはじめます。頼朝が描いたこのマスタープランは、800年以上たった現在の鎌倉のまちにまで生き続けています。
鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府創設後は、幕府の重要な祭事や行事を行う、幕府の象徴的な場所になりました。それは頼朝の死後も続き、幕府を頼朝の妻である北条政子執権北条氏が支配するようになってからも同じように続きました。

●住所
鎌倉市雪ノ下2-1-31

●拝観料
無料(一部施設は有料)

●駐車場
あり(有料)※大型バスのみ事前予約可能

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、徒歩約10分
※混雑を避けたい場合は、「鎌倉駅(西口)」より、今小路、横大路経由で、徒歩約15分

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幕府の鬼門を守る鎮守社として崇拝された 荏柄天神社

鎌倉に幕府を開いた源頼朝は、幕府の鬼門にあたる場所にあった荏柄天神社をたいへん崇拝していたと言われています。
荏柄天神社の華やかな朱色の社殿は、鶴岡八幡宮の若宮を移築したもので、鎌倉に現存する最古の神社建築です。

●住所
鎌倉市二階堂74

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
なし

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで『天神前』下車、徒歩約3分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約20分

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幕府の裏鬼門に建立された夷堂跡に建つ 本覚寺

源頼朝は、幕府の裏鬼門の方角には、夷神を祀る夷堂えびすどうを建立しました。現在「えびす様」として一般的な商売の神様としてではなく、守護神としての「えびす様」を勧請しています。
この頼朝夷堂は、鎌倉幕府滅亡の際に焼失してしまいましたが、室町時代に同じ場所に建立された本覚寺の境内に再建されました。
鎌倉時代、夷堂には一時期日蓮が滞在していたことがあるという縁から、本覚寺には日蓮宗総本山の身延山より日蓮の遺骨が分骨されています。そのため、本覚寺は「東身延」とも呼ばれています。

●住所
鎌倉市小町1-12-12

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
なし

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、徒歩約3分

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源氏代々ゆかりの地に建つ 寿福寺

源頼朝は、当初、鎌倉での拠点を、現在の寿福寺じゅふくじがある亀ヶ谷かめがやつ扇ヶ谷おうぎがやつ)のあたりにしようと考えていました。亀ヶ谷は、頼朝の父・義朝が館を構えるなど鎌倉の中でもとくに源氏とゆかりが深い場所でした。しかし、源氏の御家人であった三浦義明の弟・岡崎義実がすでに義朝を供養するための堂を建てていたことや、土地が手狭だったことから、現在の鶴岡八幡宮やその東側の大倉の地を開発していくことになります。
亀ヶ谷には、頼朝の死の翌年、妻の北条政子によって、寿福寺が創建されました。
寿福寺の裏手には、北条政子と鎌倉幕府第3代将軍・源実朝の墓(供養塔)である「やぐら」(鎌倉周辺独特の中世の墓や供養の場)が残っています。

●住所
鎌倉市扇ガ谷1-17-7

●拝観料
無料(志納)※参道から中門までと墓地が参拝可能

●駐車場
なし

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、徒歩約10分

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今も源頼朝像が鎌倉のまちを見下ろしている 源氏山公園

源氏とゆかりが深い亀ヶ谷扇ヶ谷)の谷戸背後の山は源氏山と呼ばれていて、頂上は源氏山公園になっています。
現在のメインのルートは、鎌倉駅西口から市役所通り、銭洗弁天前を経由する道ですが、寿福寺の裏や仮粧坂けわいざか化粧坂切通し)からも登ることができ、これらのルートのほうが古道の雰囲気を感じることができます。
この山は、源頼家(八幡太郎義家)が後三年の役のときに山の上に白旗を立てて戦勝祈願をしたという逸話から、白旗山とも呼ばれています。
源氏山公園のシンボルは、なんといっても源頼朝像でしょう。記念写真の定番スポットになっています。頼朝は今もこの場所から鎌倉のまちを見下ろしています。

●住所
鎌倉市扇ガ谷4-649-1

●入園料
無料

●駐車場
なし

●公共交通機関
徒歩の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、市役所通り・「銭洗弁天」前経由で、徒歩約25分
JR横須賀線・湘南新宿ライン「北鎌倉駅」より、葛原岡・大仏ハイキングコース経由で、徒歩約40分
※徒歩はこれ以外にも「仮粧坂(化粧坂)」経由や「寿福寺」経由など複数ルートあり
バス利用の場合(大船駅から)
JR各線・湘南モノレール「大船駅(東口)」より、京急バス「桔梗山」行きで、『源氏山入口』下車徒歩約7分
※「鎌倉駅」からのバス利用は、途中1区間のみ(『鎌倉市役所前』~『法務局前』)の利用となり、徒歩区間が多くなるため、おすすめしません。「鎌倉駅」から徒歩以外でアクセスしたい場合は、タクシーの利用をおすすめします。

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源頼朝の夢に現われた宇賀福神を祀る 銭洗弁財天宇賀福神社

源氏山公園を、鎌倉駅や寿福寺がある方面と反対側の西側に下って行くと、銭洗弁財天宇賀福神社(銭洗弁天)があります。奥宮の湧水でお金を洗うとご利益があると言われている、鎌倉を代表するパワースポットの一つです。
この銭洗弁天の湧水は、源頼朝の夢に現われた宇賀福神のお告げによって見つかったとされています。

●住所
鎌倉市佐助2-25-16

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
あり ※土日祝と巳の日は利用不可

●公共交通機関
徒歩の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、徒歩約20分
バス利用の場合(大船駅から)
JR各線・湘南モノレール「大船駅(東口)」より、京急バス「桔梗山」行きで、『源氏山入口』下車徒歩約10分
※「鎌倉駅」からのバス利用は、途中1区間のみ(『鎌倉市役所前』~『法務局前』)の利用となり、徒歩区間が多くなるため、おすすめしません。「鎌倉駅」から徒歩以外でアクセスしたい場合は、タクシーの利用をおすすめします。

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佐殿を助けた神様を祀る 佐助稲荷神社

銭洗弁財天宇賀福神社金運のパワースポットとして有名ですが、同じ佐助の谷戸にある佐助稲荷神社出世や開運のパワースポットとして知られています。
伊豆に流されていた源頼朝は、夢枕に現われた「かくれ里の稲荷」の神様のお告げに従って挙兵し、平家を討伐して鎌倉幕府の征夷大将軍になりました。そのため、佐助稲荷神社には出世や開運のご利益があるとされています。
なお、「佐助さすけ」という地名は、若いころ「佐殿すけどの」と呼ばれていた頼朝助けた神様が祀られている場所だからとする説があります。

●住所
鎌倉市佐助2-22−12

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
なし

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、徒歩約25分

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二階堂という地名の由来になった大寺院 永福寺跡

源頼朝の戦いは平家を滅亡させた後も続きました。弟・源義経奥州藤原氏との対立です。
1189年(文治5年)には義経を自害に追いやり、奥州合戦藤原氏も滅亡しました。
この後、頼朝は、義経奥州合戦の戦死者をはじめとした武将たちの鎮魂のために、永福寺ようふくじ(廃寺)を建立しました。
発掘調査によって、永福寺は壮大な伽藍や庭園を有し、鶴岡八幡宮勝長寿院(廃寺)とともに源頼朝が建立した三大寺社の一つに数えられるような大寺院だったことが分かっています。しかし、1405年(応永12年)に焼失して以降、再建されることはありませんでした。
永福寺跡周辺にある「二階堂」という地名は、永福寺の二階建ての本堂に由来しています。

●住所
鎌倉市二階堂209

●入場料
無料

●駐車場
なし

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで終点『大塔宮』下車徒歩約5分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約35分

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源頼朝の墓 源頼朝法華堂跡

源頼朝は死後、鶴岡八幡宮の東側で、頼朝の住まいでもあった大倉御所大倉幕府)を南側に見下ろす山の中腹の平場にあった、法華堂持仏堂)に葬られました。
現在の源頼朝の墓は、この法華堂の跡地に、江戸時代後期の1779年(安永8年)、薩摩藩主・島津重豪によって整備されたものです。
島津氏の祖である島津忠久頼朝の子(庶子)であるとされていて(諸説あり)、島津忠久の墓頼朝の墓がある山の隣りの山にあります。
頼朝の墓の下には、頼朝を祀る白旗神社が建っています。近くの大倉御所(大倉幕府)跡周辺には薄紅色の花を咲かせるソメイヨシノの桜並木がありますが、この一角だけは、源氏の旗印である白色の花を付けるオオシマザクラが植えられています。

●住所
鎌倉市西御門2-687

●入場料
無料

●駐車場
なし

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉霊園正面前太刀洗」行き、「金沢八景駅」行き、「ハイランド」行き、「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで『岐れ道』下車徒歩約3分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約20分

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逗子・葉山・横浜金沢・三浦・横須賀編

三浦半島には、鎌倉以外にも源頼朝にゆかりのある場所が数多くあります。ここでは、その中から逗子・葉山・横浜金沢・三浦・横須賀の各エリアから1か所ずつをピックアップして紹介します。

逗子 岩殿寺(岩殿観音)

岩殿寺(岩殿観音)は奈良時代に創建された古刹で、坂東三十三観音の第2番札所になっています。鎌倉時代には、源頼朝をはじめ、源実朝北条政子などの頼朝ファミリーや、三浦義澄義村親子などが参拝した記録が残っています。
坂東三十三観音は、源頼朝のあつい観音信仰によって広まったとされています。
坂東三十三観音・第1番札所の杉本寺(杉本観音)からは、現在も巡礼古道と呼ばれる雰囲気のある山道を経由して訪れることができます。
第2番礼所の安養院(田代観音)頼朝の妻・政子ゆかりの寺院で、岩殿寺(岩殿観音)とは名越切通を挟んで反対側にあります。

●住所
逗子市久木5-7-11

●拝観料
100円

●駐車場
あり

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン「逗子駅(西口・久木方面)」より徒歩約15分
JR横須賀線・湘南新宿ライン「逗子駅(東口)」より徒歩約20分
京急線「逗子・葉山駅」より徒歩約25分

岩殿寺(岩殿観音)・納経所(撮影日:2022.06.17)
岩殿寺(岩殿観音)

周辺の見どころ
名越切通
まんだら堂やぐら群 ※季節・曜日限定公開
浄明寺緑地
池子の森自然公園

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葉山 森戸大明神(森戸神社)

長年に渡って葉山の総鎮守として親しまれている森戸大明神(森戸神社)は、源頼朝が創建した神社です。
伊豆で流罪の身となっていた頼朝は、流刑地からほど近い場所にあった三嶋明神(三嶋大社)を深く信仰し、源氏再興を祈願していました。序盤は苦しみますが、旗揚げに成功して鎌倉入りを果たした頼朝は、鎌倉に近い葉山の地に、三嶋明神の分霊を勧請しました。
その後も源頼朝はこの地に別荘を建てて、ことあるごとに森戸大明神(森戸神社)へ参拝と遊覧に訪れていました。

●住所
三浦郡葉山町堀内1025

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
あり

●公共交通機関
JR横須賀線・湘南新宿ライン「逗子駅」または京急逗子線「逗子・葉山駅」より京急バス「逗11、12系統(海岸回り)」に乗車して『森戸神社』下車

森戸大明神(森戸神社)(撮影日:2021.02.03)
森戸大明神(森戸神社)

周辺の見どころ
森戸海岸
葉山灯台(裕次郎灯台)
真名瀬海岸

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横浜金沢 瀬戸神社

瀬戸神社は、源頼朝が創建したと伝わる金沢八景の古社です。国道16号を挟んだ向かい側には、北条政子が創建した琵琶島神社も鎮座しています。
この瀬戸神社森戸大明神(森戸神社)と同じく、三嶋明神の分霊を勧請した神社です。
森戸瀬戸神社の周辺に広がっていた港・六浦も、災厄が生じた際に加持祈祷を行う、鎌倉幕府にとっての聖地でもありました。

●住所
横浜市金沢区瀬戸18-14

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
車祓のスペースのみ(瀬戸神社参拝によるイオン金沢八景店駐車場の無料利用は終了しました)

●公共交通機関
京急線・金沢シーサイドライン「金沢八景駅」より徒歩約2分

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三浦 海南神社

源頼朝が挙兵した際、時の三浦一族当主の三浦大介義明は、氏神であった海南神社で、源平のどちらが勝つか「神事狐合」で占いました。白と赤の狐を闘わせて白い狐が勝ったため、義明頼朝に味方したと伝わっています。
鎌倉幕府を創設した後、有力御家人となった三浦一族の所領である三崎や城ヶ島の地に、源頼朝は何度も来遊しました。
海南神社の境内には、頼朝が植えたと伝わる御神木の大銀杏が、雄株と雌株の2本あります。雄株は龍神様の形をしていて、雌株は枝が垂れていて乳房のような形をしています。
雄株の下には、龍神様を祀る龍神社が鎮座しています。
雌株の下には、子宝・安産・良縁の石である「子産石」が安置されています。軽く触れることで願いが叶うとされています。

●住所
三浦市三崎4-12-11

●拝観料
無料(志納)

●駐車場
あり(境内右手の社務所近く)※駐車台数が少ないため公共交通機関か三崎港周辺のコインパーキングの利用をおすすめします。

●公共交通機関
京急久里浜線「三崎口駅」より京急バス「城ヶ島」「通り矢」「三崎港」「浜諸磯」行きで『三崎港』下車、徒歩約3分

源頼朝の三崎三御所

源頼朝は、三崎に三つの別荘を設けました。三か所とも、花の名所だったため、「椿の御所」「桜の御所」「桃の御所」と呼ばれました。後年、これらの跡地には、それぞれ寺が建立されています。

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横須賀 満昌寺

満昌寺は、源頼朝が、三浦一族三浦大介義明みうら おおすけ よしあきのために建立した寺院で、境内には義明の墓もあります。
源頼朝平家討伐の挙兵をしたとき、三浦一族頼朝に味方しますが、平家方についていた畠山重忠らによって、本拠地の衣笠城を包囲されてしまいます。このとき、三浦一族の当主であった三浦大介義明は命をはって三浦義澄和田義盛らを房総半島へ逃がし、自らは討死しました。
その後、房総半島で頼朝と合流した三浦義澄和田義盛らは、頼朝の主力の戦力として活躍して、鎌倉幕府の創設に貢献しました。結果的に、三浦大介義明の決断が頼朝を窮地から救うことになったため、頼朝はそんな義明に礼を尽くすつもりで満昌寺を創建したのでしょう。

●住所
横須賀市大矢部1-5-10

●拝観料
無料(志納)
※通常非公開のものの見学は、拝観料:300円(要事前予約)

●駐車場
あり

●公共交通機関
バス利用の場合
JR横須賀線「衣笠駅」徒歩約6分の「衣笠十字路」バス停や京急久里浜線「北久里浜駅」などから(詳細ページを参照
徒歩の場合
JR横須賀線「衣笠駅」または京急久里浜線「北久里浜駅」より、徒歩約35分

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