浦郷公園は、横須賀の北東部に位置する、深浦湾に面した街区公園です。榎戸湊と呼ばれた、かつての漁業や海運の要衝だった場所にあります。
早春には、およそ30本の河津桜が公園の外周に咲きほこります。浦郷公園は最寄り駅から離れていて、駐車場もなく、観光で訪れるような公園ではありませんので、横須賀あるいは三浦半島でも有数の河津桜の穴場スポットの一つです。
近年はライトアップも行われる「浦郷桜まつり」

浦郷公園の河津桜は、2000年代のはじめに地元の有志によって植栽されたものです。毎年、地元の日向自治会・榎戸町内会・深浦町内会によって、「浦郷桜まつり」が開催されています。近年は、河津桜の見ごろが最盛期となる時期に、桜のライトアップも行われています。

かつて榎戸湊として栄えた浦郷公園周辺

浦郷公園は、1963年(昭和38年)に浦郷児童公園として開設されました。1981年(昭和56年)には、榎戸湊や榎戸湾などと呼ばれていた深浦湾内の小さな入り江が埋め立てられてできた広場が浦郷公園に編入されて、公園の規模が拡大しました。
榎戸湊は、漁業と横浜・金沢や横須賀との渡船の拠点として栄えた、かつてのこのあたりの中心地だった場所です。
浦郷公園のある「浦郷」「浦郷町」という地名は、大正時代初期まで存在していた「浦郷村」に由来します。古くは「浦ノ郷」や「浦ノ江」とも記していたと言います。
浦郷公園が面している深浦湾は、長浦湾から川のように細長く入り込んだ入り江で、長浦湾もまた東京湾から細長く続く入り江です(深浦湾は、東京湾内にある長浦湾内に存在)。このあたりの海岸線は大きな川(=江)のような地形が連続しているため、このような地名が付けられたのかもしれません。
現在ではそれほど知名度が高いとは言えない「浦郷」という地名ですが、明治から大正にかけては、現在の追浜エリア(横須賀市追浜行政センター管内)と田浦エリア(同田浦行政センター管内)に相当する地域を示す村名になっていました。
浦郷村は、1889年(明治22年)に、浦之郷村・田浦村・長浦村・船越新田が合併してできた村です。浦之郷村は、ほぼ現在の追浜エリアに当たります。もともと追浜は、浦郷村内の字名でした。しかし、昭和初期に、このエリアに今の京急線が開通した際、海岸沿いを通らずに、内陸部に「追浜駅」という名称で駅が置かれたため、昭和以降は追浜駅を中心にまちが発展していきました。
追浜駅周辺も、浦郷村の鎮守・雷神社が鎮座していたり、浦賀道(東海道・保土ヶ谷宿から金沢を経由して横須賀の東京湾側に沿って浦賀奉行所に至る、いわゆる「東浦賀道(東回り浦賀道)」)が通っていたり、京急線が開通する以前より集落として発展していた地域です。
現在では知名度もまちの発展度も追浜と随分差の付いた浦郷ですが、かつて榎戸湊として栄えた浦郷公園周辺は追浜駅周辺と同等かそれ以上の賑わいをみせていた、名実ともにこの地域の中心地だった歴史ある場所です。
浦郷村は、1914年(大正3年)、町村制施行によって田浦町となり、浦郷は田浦町の大字となります。1933年(昭和8年)には田浦町が横須賀市に編入し、現在「浦郷」という地名は横須賀市浦郷町という町名で存続しています。

浦郷公園周辺の見どころ


