補陀洛寺は、文覚を開山(初代住職)に、源頼朝の祈願所として創建された真言宗大覚寺派の寺院です。たびたび竜巻や火災にみまわれていたようで、「竜巻寺」と言う別名もあります。
補陀洛寺が創建された1181年(養和元年)という年は、源頼朝が鎌倉入りした翌年で、源氏と平家との戦いが本格化する直前にあたります。また、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、鎌倉では鶴岡八幡宮の造営に忙しい様子が頻繁に記録されています。
補陀洛寺は、このような、平家討伐や鎌倉幕府創設といった大願成就のため、旧知の仲であった文覚を迎えて創建されたものと考えられます。
その後、補陀洛寺は廃れますが、南北朝時代に鶴岡八幡宮の供僧・賴基によって再興されました。
| 山号 | 南向山 |
| 宗派 | 真言宗大覚寺派 |
| 寺格 | ― |
| 本尊 | 十一面観音菩薩 |
| 創建 | 1181年(養和元年) |
| 開山 | 文覚 |
| 開基 | 源頼朝 |
平家討伐を成しとげた後、源頼朝は、平家の総大将だった平宗盛(平清盛の三男)が最後まで持っていたとされる「平家の赤旗」を補陀洛寺に奉納しました。この「平家の赤旗」は、現在も補陀洛寺の寺宝として伝えられています。

平安期の十一面観音菩薩が伝わる古義真言宗の古刹

江戸時代前期に成立した地誌「新編鎌倉志」によれば、補陀洛寺は仁和寺(現在の京都市右京区にある、真言宗御室派の総本山)の末寺で、本尊は薬師・十二神とあります。一方、江戸時代後期に成立した地誌「新編相模国風土記稿」には、手広村の青蓮寺(現在の鎌倉市手広にある、高野山真言宗の寺院。当時の本尊は不動)の末寺で、本尊は不動とあります。
現在の補陀洛寺は真言宗大覚寺派に属していて、本尊は十一面観音菩薩です。
このように、少なくとも近世以降の補陀洛寺は、本末の関係や本尊がたびたび変わっていきましたが、真言宗の寺院であることは一貫していて(開山の文覚も真言宗の僧。また、真言宗大覚寺派、高野山真言宗、真言宗御室派はいずれも、広義の古義真言宗)、現在の本尊・十一面観音菩薩も平安期の、創建時の本尊とみられます。
補陀洛寺(竜巻寺)境内の見どころ
百日紅(サルスベリ)

本堂前には、鎌倉でも有数の百日紅(サルスベリ)の大木があり、真夏の境内を彩ります。
「市瀬正毅先生を偲ぶ」石碑

境内の片隅には、県立湘南高校の教師だった市瀬正毅先生を偲ぶ石碑が建てられています。市瀬正毅先生は、1949年(昭和24年)に県立湘南高校の野球部が甲子園(全国高等学校野球選手権大会)初出場で初優勝した際の部長だった方です。
補陀洛寺(竜巻寺)周辺の見どころ
鶴岡八幡宮以降、勝長寿院や永福寺といった、源頼朝が建立した主要な寺社はいずれも山際(内陸の谷戸)に造営されましたが、補陀洛寺は、鶴岡八幡宮の前身である由比若宮(元八幡)と同じ、海に近い材木座にあります。
明治維新までの補陀洛寺は、諏訪社や牛頭天王見目明神合社、住吉社など、材木座村の複数の神社を管理していました。それらのいくつかは、補陀洛寺からもほど近い場所に鎮座する五所神社に合祀されています。







