由比若宮(元八幡)は、源頼朝の5代前の祖先にあたる源頼義が、京都の石清水八幡宮から河内源氏の氏神である八幡神を勧請して鎌倉の由比郷に祀ったのがはじまりです。戦の鎮圧に中心的役割を果たした前九年の役終結の翌年、1063年(康平6年)のことです。
主祭神 | 応神天皇 比売神 神功皇后 |
旧社格等 | ― |
創建 | 1063年(康平6年) |
INDEX
源氏と鎌倉との縁のはじまりの地
源頼義は、1028年(長元元年)に関東で起きた平忠常の乱の平定に大きく貢献すると、後に相模守に任命されました。この当時、鎌倉は平直方が本拠地としていましたが、直方は娘婿である源頼義に屋敷や所領を譲ります。
これが源氏と鎌倉との縁のはじまりで、それ以来、鎌倉は、河内源氏の東国支配の拠点となっていきました。これに前後して平直方の娘、源頼義の正室は、後の源義家(八幡太郎)を産み、この血筋は源氏の主流として、源頼朝らへと繋がっていくことになります。
由比若宮の遷宮によってはじまった鎌倉のまちづくり
1180年(治承4年)、源頼朝は平家討伐の本拠地に、源氏ゆかりの地である鎌倉を選びます。鎌倉には、源頼義が創建した由比若宮の他に、頼朝の父・源義朝が館を構えていた場所でもありました。
鎌倉に入った頼朝は、源氏と鎌倉とのつながりを示す象徴とも言える由比若宮を、海に近く平野の真ん中に位置する由比郷から、現在も鶴岡八幡宮が鎮座する山を背にした天然の要害の地である小林郷に遷して、鶴岡八幡宮を中心に鎌倉のまちづくりをはじめました。
これ以降、由比若宮は、「元八幡」や「元鶴岡八幡宮」と呼ばれるようになりました。
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由比若宮(元八幡、元鶴岡八幡宮)境内の見どころ
由比若宮の境内は鶴岡八幡宮とともに国史跡に指定されています。由比若宮の境内は鶴岡八幡宮と違いとてもコンパクトなため、5分もあれば一通り参拝できます。
源氏と鎌倉との縁のはじまりの地であった由比若宮の現在は、住宅地に囲まれていて、まちの鎮守といった趣があります。
一方、鶴岡八幡宮は、単なる神社というだけではなく、幕府の重要な祭事や儀式を行う宮殿的な役割も担う鎌倉幕府の象徴的な場所として発展していき、今も古都鎌倉のシンボルであり続けています。