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熊野神社(浄明寺)| 足利直義の菩提寺・大休寺跡裏山に鎮座する旧浄妙寺村の鎮守

熊野神社(浄明寺)(撮影日:2026.02.03) 鎌倉
熊野神社(浄明寺)(撮影日:2026.02.03)

鎌倉・浄明寺熊野神社は、足利氏ゆかりの鎌倉五山第五位浄妙寺の西の山上に鎮座する、浄明寺の鎮守です。山を聖域とみなす熊野信仰の神社の多くと同じように、杉やタブなどの大木がうっそうと茂る社叢林の山中にあります。

浄明寺熊野神社は、勧請をはじめとした由緒は不詳ながら、社伝によると、室町時代前期の応永年間(1394年~1428年)と室町時代後期の永正年間(1504年~1521年)に社殿を再建したと伝えられていることから、それ以前の創建とみられています。

主祭神伊弉諾命
伊弉冊命
天宇頭女神
旧社格等村社
創建応永年間(1394年~1428年)以前
祭礼等7月17日に近い日曜日 例大祭
※実際の日にちは年によって異なる場合があります

熊野神社の隣りにある浄妙寺の現在の宗派は、臨済宗建長寺派です。しかし、鎌倉時代初期(または平安時代末期)の創建当初は「極楽寺」と称する密教系の寺院だったと言います。熊野信仰山岳信仰と密教が融合して確立されたと言われていることから、熊野神社浄妙寺(極楽寺)の創建に関連して、その前後に勧請されたのかもしれません。

熊野神社(浄明寺)・樹木がうっそうと茂る社殿周辺(撮影日:2026.02.03)
熊野神社(浄明寺)・樹木がうっそうと茂る社殿周辺(撮影日:2026.02.03)
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「熊野山」という山号を持つ足利直義の菩提寺・大休寺

熊野神社(浄明寺)・鳥居(撮影日:2026.02.03)
熊野神社(浄明寺)・鳥居(撮影日:2026.02.03)

熊野神社浄妙寺の間には、かつて、足利尊氏の弟で、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて活躍した武将・足利直義あしかが ただよしが創建した大休寺がありました。直義は戒名を大休寺古山恵源と言い、大休寺直義の菩提寺でした。また、直義の屋敷もこのあたりにあったと伝えられています。

室町幕府の内乱(観応の擾乱)で兄・尊氏と対立した足利直義は、最終的に浄妙寺の西北、大休寺の北側、現在の石窯ガーデンテラスのあたりにあったとされる延福寺(廃寺)に幽閉され、この地で没しました。
浄明寺境内の延福寺跡とされる山すそのやぐら内に、足利直義の墓と伝わる宝篋印塔が残されています。

大休寺は、山号を「熊野山」と言いました。裏山に鎮座していた熊神神社に由来するものと考えられます。
大休寺がいつまで存続していたのかは分かっていません。江戸時代前期に編さんされた地誌「新編鎌倉志」ではすでに「大休寺旧跡」として紹介されていることから、足利尊氏の子で、初代鎌倉公方足利基氏からはじまった鎌倉府が廃されて、鎌倉の都市としての機能が急速に低下した室町時代中期以降に廃寺になったと考えられます。

熊野神社(浄明寺)・手水舎(撮影日:2026.02.03)
熊野神社(浄明寺)・手水舎(撮影日:2026.02.03)
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浄明寺の熊野神社と十二所の十二所神社

熊野神社(浄明寺)・参道の長い石段を見下ろす(撮影日:2026.02.03)
熊野神社(浄明寺)・参道の長い石段を見下ろす(撮影日:2026.02.03)

江戸時代後期の地誌「新編相模国風土記稿」には、「浄妙寺村」の「熊野社」として、 “泉水ヶ谷字東之澤。宝生庵跡の東にあり。此谷を御坊と云う。村の鎮守なり。” とあります。
現在、地名としては「浄妙寺」ではなく「浄明寺」という漢字を当てていますが、この頃は地名としても「浄妙寺」としていたようです。

泉水ヶ谷」は、現在、金沢街道県道204号金沢鎌倉線。かつての六浦道)を走るバスの停留所名などにもなっている「泉水橋」からも判断できるように、浄妙寺の「東」側に位置する谷戸です。浄明寺熊野神社浄妙寺の「西」に鎮座しているため、位置が合いません。
宝生庵」の詳細は分かりませんが、「新編相模国風土記稿」によれば、往時の浄妙寺には二十三の塔頭があったと言いますから(「塔頭(たっちゅう)」とは禅宗寺院の境内またはその周辺に建つ付属の小寺院のことで、厳密には、宗派の開祖や代々の住持、高僧の墓塔のことです)、その一つのことなのかもしれません。
御坊」というのは、浄明寺の「東」隣にあたる十二所(江戸時代は十二所村)に古くから見られる地名です。

このように、現在の熊野神社の位置と「新編相模国風土記稿」の記載とには、いろいろと矛盾があります。「熊野山」という山号だった足利直義の菩提寺大休寺との位置関係からも、熊野神社の場所が、浄妙寺の東側から西側に大きく移ったということは考えにくいです。
新編相模国風土記稿」の「浄妙寺村熊野社」の内容は、同じく熊野信仰十二所村熊野社(現在の十二所神社)のものとしたほうが自然と考えられる部分もあり、両社(あるいはまた別の熊野社)を混同している可能性も考えられます。

新編鎌倉志」添付の絵図では、現在、浄明寺熊野神社が鎮座する場所にしっかりと「熊野社」が描かれていることから、これらの矛盾は文章中のみで見られます。文章で説明するよりも、絵や写真などで示したほうが誤解が少ないというのは、今も昔も変わらないようです。

なお、浄明寺熊野神社十二所十二所神社、それぞれの江戸時代後期の再建時に、十二所明王院の僧・明本恵法が関わったと伝えられていることから、両社は明王院を通じて関係があったと考えられます。

熊野神社は、十二所のさらに西の横浜・比奈にもあり、このあたりは熊野信仰の影響力が強い地域だったと言えます。

熊野神社(浄明寺)・社殿にかかる扁額(撮影日:2026.02.03)
熊野神社(浄明寺)・社殿にかかる扁額(撮影日:2026.02.03)
熊野神社(浄明寺)・社殿前より社叢林を望む(撮影日:2026.02.03)
熊野神社(浄明寺)・社殿前より社叢林を望む(撮影日:2026.02.03)
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その他の金沢街道沿いの熊野信仰の神社

鎌倉と横浜金沢の境付近には、熊野信仰の神社が多めです。

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DATA

住所 鎌倉市浄明寺3-8-55
アクセス
行き方

JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉霊園正面前太刀洗」行き、「金沢八景駅」行き、「ハイランド」行きで『浄明寺』下車徒歩約5分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約35分

駐車場 なし
料金

無料(志納)

電話番号 0467-22-3347 ※大町八雲神社
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