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大長寺 | 玉縄北条家や徳川家康ゆかりの大船・岩瀬の寺院

大長寺・宝蔵の葵の御紋(撮影日:2022.04.20) 鎌倉
大長寺・宝蔵の葵の御紋(撮影日:2022.04.20)

大長寺だいちょうじは、鎌倉・岩瀬にある、後北条氏徳川家康とゆかりの深い寺院です。境内では、徳川家の家紋葵の御紋」が随所で見られます。

開基の北条綱成は、戦国時代から江戸時代初期にかけて現在の大船駅の西側にあった玉縄城の第3代城主で、後北条氏一門玉縄北条家に養子として入った武将です。
このため、後北条氏とのゆかりも深く、境内には、北条綱成の正室・大頂院の墓など、後北条一族の墓と伝わる石塔5基も残されています。

山号亀鏡山
宗派浄土宗
寺格
本尊阿弥陀如来
創建1548年(天文17年)
開山感誉存貞
開基北条綱成
大長寺・境内(撮影日:2022.04.20)
大長寺・境内(撮影日:2022.04.20)
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徳川家康の亀は大長寿という鶴の一声で変わった寺名

大長寺・本堂の天水鉢の葵の御紋(撮影日:2022.04.20)
大長寺・本堂の天水鉢の葵の御紋(撮影日:2022.04.20)

大長寺ははじめ、北条綱成の正室・大頂院の法号に見られるように、「大頂寺」として創建されました。しかし、徳川家康によって「大長寺」と寺名が変更になったと伝えられています。

1590年(天正18年)、玉縄城・城主が北条綱成の3代後の氏勝の時代、豊臣秀吉による小田原征伐により、後北条氏の本拠地・小田原城の支城だった玉縄城豊臣方徳川家康の家臣・本多忠勝らに包囲されました。
このとき、大頂寺大長寺)の住職だった源栄徳川家康からの内命を受け、大頂寺と同じく北条綱成が開基の大応寺(現・龍宝寺)の住職らとともに城主・北条氏勝を説得し、玉縄城は降伏・開城されました。大頂寺大応寺玉縄北条家の菩提寺であったことや、時の後北条宗家(本家)当主・北条氏直徳川家康の娘婿(氏直の正室が家康の次女・督姫)だったことから、このような交渉が比較的スムーズに行われたと考えられます。

大頂寺大長寺となったのはこの小田原征伐の後のことで、大頂寺の山号が亀鏡山と聞いた徳川家康が、亀は大長寿なるべしと言ったため、寺名を「大長に改めたと言います。

大長寺・本堂の扁額(撮影日:2022.04.20)
大長寺・本堂の扁額(撮影日:2022.04.20)
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徳川家康と源栄の親交

大長寺源栄はその後も、後北条氏の関東の所領を受け継いだ徳川家康が、この近くで鷹狩りを催したり鎌倉の近くを訪れた際に法義をするなど親交があったようで、家康からは寺の諸堂の修繕費を賜ったという記録も残っています。このため、源栄大長寺の中興と見なされています。

大長寺・宝蔵の屋根の葵の御紋(撮影日:2022.04.20)
大長寺・宝蔵の屋根の葵の御紋(撮影日:2022.04.20)
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大長寺境内の見どころ

山門

大長寺・山門(撮影日:2022.04.20)
大長寺・山門(撮影日:2022.04.20)

大階段

大長寺・大階段(撮影日:2022.04.20)
大長寺・大階段(撮影日:2022.04.20)

本堂

大長寺・本堂(撮影日:2022.04.20)
大長寺・本堂(撮影日:2022.04.20)

鐘楼

大長寺・鐘楼(撮影日:2022.04.20)
大長寺・鐘楼(撮影日:2022.04.20)

宝蔵

大長寺・宝蔵(撮影日:2022.04.20)
大長寺・宝蔵(撮影日:2022.04.20)
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大長寺周辺の見どころ

DATA

住所 鎌倉市岩瀬1464
アクセス
行き方

JR各線・湘南モノレール「大船駅(東口)」より、徒歩約20分
または
江ノ電バス「鎌倉湖畔循環(行政センター経由)」行き、「鎌倉湖畔循環(資生堂経由)」行きで、『砂押橋』下車徒歩約7分

駐車場 あり
料金

無料(志納)

電話番号 0467-46-4428
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