高野の切通(長窪の切通し)は、大船の高野台と呼ばれるエリアにある、六国見山西麓に残る切通しです。鎌倉で切通しといえば鎌倉七口(鎌倉七切通し)が有名ですが、高野の切通しは、誰もが「切通し」と聞いてイメージするような、もっとも切通しらしい切通しと言えます。
高野の切通しは、現在の天園ハイキングコースから続く尾根道の最西端に位置しています。高野の切通しがいつ頃整備されたのかは、記録が残っていないため、よく分かっていません。明治期の地図などから、このあたりには、鎌倉市中を経由せずに尾根道を往く、いわゆる鎌倉街道などの街道筋のバイパス的な道が通っていたとみられます。
高野の切通しはその一部にあたり、六国見山南麓に長細く続く「長窪」の畑に、農作業用の車や牛馬を通すため、とくに大規模に開削された区間と考えられます。現在、「長窪」の大部分は造成され、「高野台」の住宅地になっていますが、戦後すぐ米軍により撮影された空中写真より、細長い谷戸一面に畑が広がっていたことが分かります。
この切通しは、古くは、その古い地名にちなんで「長窪の切通し」と呼ばれてきましたが、現在では「高野の切通し」とも呼ばれています。
「切通し」と言うと中世の古道のイメージが強いかもしれませんが、それぞれ江戸時代前期と後期に編さんされた地誌である「新編鎌倉志」や「新編相模国風土記稿」では、この高野の切通し(長窪の切通し)に相当する記述や関連していそうな記述は見られません。そのため、ここまで大規模な切通しとしては、江戸時代後期以降の、近世に開削された可能性が高いです。
また、高野の切通し(長窪の切通し)と、この近隣の大船の切通し(多聞院裏の切通し)はともに、代々大船村の名主をつとめた甘糟家(甘粕家)の屋敷を起点に、農地が広がっていた六国見山周辺の谷戸に向かってのびているため、切通しの開削には甘糟家が関与していた可能性も考えられます。(根拠となる史料があるわけではありません)

INDEX
「高野の切通し」あるいは「長窪の切通し」という名称について
鎌倉市では、1999年に市民投票をもとに選定した「かまくら景観百選」にて、ここで紹介する高野の切通し(長窪の切通し)を「高野の切通」(鎌倉市高野4-4地先)の名称で認定しています。
しかし、多くの人が参照するであろうGoogleマップでは、長い間「長窪の切通し」(2022年5月現在の情報。鎌倉市高野4丁目5-1)の名称で登録されていました。また、平成初期に大船壮年会によって現地付近に立てられた「六国見山登山道標」では「長窪」と称していました。
このように「長窪の切通し」という名称も定着していることから、後述する鎌倉市の見解をもとにしながらも、ここでは「高野の切通し(長窪の切通し)」と両方の名称を併記して紹介しています。
この名称をさらに複雑にしたのが、この近くにあるもう一つの切通しが、Googleマップ上で「高野の切通し」(2022年5月現在の情報。住所は、鎌倉市大船2033)という名称で登録されていたことです。鎌倉市による「かまくら景観百選」の「高野の切通し」とは別の場所であることから、混乱を避けるため、当サイトでは「大船の切通し(多聞院裏の切通し)」として紹介しています。
※Googleマップの登録名は、誰でも変更申請することができるため、それが正式な名称であるという保証はありません。今後、マップ上の名称やピンの場所が変更されることも十分ありえます。一方で、自治体の現代の見解が必ずしも史実と整合性がとれているとも限りません。
| 当サイトでの名称 | 2024年5月現在の Googleマップ上での名称 (所在地) | 2022年5月現在の Googleマップ上での名称 (所在地) | 1999年選定の かまくら景観百選の名称 (所在地) | 平成初期(1990年代前半)設置の 六国見山登山道標の表記 |
|---|---|---|---|---|
| 高野の切通し(長窪の切通し) | 高野の切通し(鎌倉市高野4丁目5-1) | 長窪の切通し(鎌倉市高野4丁目5-1) | 高野の切通(鎌倉市高野4-4地先) | 長窪 |
| 大船の切通し(多聞院裏の切通し) | 大船の切通し(鎌倉市大船2033) ※実際には、大船と高野の境界に位置しています。 | 高野の切通し(鎌倉市大船2033) ※実際には、大船と高野の境界に位置しています。 | - | - |
六国見山と円覚寺裏山の間の細長い谷戸「長窪」

2022年5月現在、鎌倉市では、もう一方の切通し、大船の切通し(この当時のGoogleマップ登録名は「高野の切通し」)には、とくに名称を設けていないとのことでした。
また、「長窪」という地名についても、旧字名などで使用されていたものかどうか鎌倉市へ問い合わせましたが、以下の書籍を確認していただいたものの、記載がないとのことで、詳細は分かりませんでした。
・『大字・小字一覧表』(鎌倉市総務課)
・『としよりのはなし』(鎌倉市教育委員会編、昭和46年発行)
・『相模国鎌倉郡村誌』(神奈川県図書館協会編、平成3年発行)
その後、『(続)鎌倉 谷戸の記録(上)大船・玉縄編」(鎌倉市中央図書館、平成31年発行)という本で「長窪」についての記載を確認できたため、少し補足します。この本によれば、六国見山と円覚寺の裏山の間の細長い谷戸を「長窪」と呼んでいたようです。上記の鎌倉市の見解より、「長窪」というのは正式な地名ではなく、通称だったのかもしれません。
現在では、その大部分が「高野台」の住宅地となったため、「長窪」と呼ばれていたころの面影はほとんど残っていないと言ってよいでしょう。
「高野の切通し(長窪の切通し)」はその谷戸の入口にあたります。
古くは「長窪」の入口の切通しだったため「長窪の切通し」と呼ばれていましたが、その地名も廃れ、一般的ではなくなったため、鎌倉市は新たに造られた「高野台」(あるいは高野という住所)にちなんで、「高野の切通し」と名付けたのでしょう。
なお、六国見山南麓にあたる「長窪」の谷戸最奥には、現在でも農地が広がっています。ここも、「高野の切通し(長窪の切通し)」とともに、「長窪」の面影を今に残す貴重な場所です。
このページ下部の地図で、地図内右上のレイヤーボタンを押して、「空中写真(1945年~1950年)」を選択してみてください。戦後すぐに米軍によって撮影された空中写真です。
切通しの右下に続いている谷戸が「長窪」です。谷戸一面に畑が広がっているのが分かります。「空中写真(1979年~1983年)」では、地形が一変したのが分かります。
切通しの左上は、大船の市街地です。
※空中写真は、「最新」以外の年代では、最大ズームでは表示することができません。

広域ネットワークの一部としての高野の切通し
もう少し俯瞰してこのあたりを見ると、明治期末の地図では、大船方面より高野の切通し(長窪の切通し)から長窪に入り、その谷戸の奥から六国見山を南側からまわり込みながら、現在の天園ハイキングコース方面にのびる道が確認できます。
天園ハイキングコースからは建長寺を経由して亀ヶ谷坂(亀ヶ谷坂切通し)または巨福呂坂(巨福呂坂切通し)を通って鎌倉市中方面、覚園寺や瑞泉寺を経由して二階堂方面、そのまま尾根道を西へ向かえば貿易港や塩田があった六浦・金沢文庫方面へ行くことができます。今目にすることができる大規模な切通しの開削は近代にされたものであったとしても、高野の切通しの道すじは、このような古道の西側の入口の一つとしても、使われていたと考えられます。

高野の切通し(長窪の切通し)へのアクセス
高野の切通し(長窪の切通し)は観光地化されていないため、とくに標識などもなく分かりにくい場所にあります。それが、古道の雰囲気を留めている一つの要因でもあります。
高野の切通しの北側の入口は、大船駅方面から、「高野公園」を目指して向かうと分かりやすいでしょう。
高野の切通しの南側の入口は、北鎌倉駅方面から、JR横須賀線の「権兵衛踏切」を六国見山森林公園方面に進み、「高野台自治会館」を目印に向かうと分かりやすいです。
なお、高野台自治会館付近から見た大船観音方面の眺望は、「高野からの眺め」として「かまくら景観百選」に選ばれています。

高野の切通し(長窪の切通し)周辺の見どころ







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