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走水低砲台跡&旗山崎公園 | 日本武尊の神話に登場する御所ヶ崎にある史跡

走水低砲台跡・第一砲座(撮影日:2021.11.23) 横須賀
走水低砲台跡・第一砲座(撮影日:2021.11.23)

走水低砲台はしりみずていほうだいは、明治時代に旧日本軍が建設した、東京湾を防衛するための砲台の一つです。猿島砲台観音崎砲台群などとともに、東京湾要塞を構成する砲台の一つでした。
砲座跡、弾薬庫などのレンガ積み構造物の遺構は、東京湾要塞のなかでも保存状態が良い砲台の一つです。

走水低砲台跡御所ヶ崎という岬にあり、砲台跡の背後(アクセス道路である国道16号から見た場合は砲台跡の手前側)は旗山崎公園として整備されています。
旗山崎公園御所ヶ崎という名称は、古代、日本武尊が東征の際に岬の山に旗を立てて御所を構えたという伝説に由来しています。

走水低砲台跡は、長年、未公開でしたが、2016(平成28年)からガイド付きの見学ツアーが開始されました。2021年3月からは、土・日・祝日限定(12月29日から1月3日は除く)で一般公開が開始されて、ガイドなしで自由に見学することができるようになりました。

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東京湾防衛の重要拠点に築かれた 走水低砲台

走水低砲台は、1885年(明治18年)4月から建設に着手して、翌1886年(明治19年)4月に完成しました。猿島砲台観音崎砲台群(の、初期に建設された砲台)よりは数年新しく、千代ヶ崎砲台よりは10年ほど古いことになります。

観音崎と房総半島の富津岬の間で東京湾がもっとも狭まるこのあたりは、江戸湾(東京湾)に外国船が現われるようになった幕末の1843年(天保14年)には旗山崎台場が築かれて、明治以降は、走水低砲台の他にも走水高砲台花立台砲台が築かれるなど、東京湾防衛の重要な拠点でした。

砲座

走水低砲台跡・第四砲座(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・第四砲座(撮影日:2021.11.23)

走水低砲台は、27cm加農砲かのんほうが4門、東京湾に向けて扇形に配置されていました。4座すべての砲座跡が、良好な状態で残されています。

走水低砲台跡・第四砲座を見下ろす(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・第四砲座を見下ろす(撮影日:2021.11.23)

弾薬庫

走水低砲台跡・弾薬庫入口(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・弾薬庫入口(撮影日:2021.11.23)

4つの砲座は、2座で1セットになっていて、地下にある2ヶ所の弾薬庫を2座ずつ共有していました。
弾薬庫の内部はレンガ造りになっていて、白く漆喰が塗られていたことが分かります。走水低砲台のレンガの積み方は、国内では明治初期の建造物に多い、フランス積みです。

走水低砲台跡・弾薬庫内部の通路(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・弾薬庫内部の通路(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・弾薬庫内部(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・弾薬庫内部(撮影日:2021.11.23)

揚弾井

走水低砲台跡・弾薬庫内部から砲座に砲弾を供給する揚弾井を見上げる(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・弾薬庫内部から砲座に砲弾を供給する揚弾井を見上げる(撮影日:2021.11.23)

地下の弾薬庫から地上の砲座へは、揚弾井ようだんせいと呼ばれる穴を使って、砲弾を供給していました。井戸で水をくみ上げるように、滑車で吊り上げていましたが、滑車部分は残っておらず、その留め具と思われる金属がわずかに残っているだけです。(上の写真は、揚弾井を地下から見上げたものです)

走水低砲台跡・第二砲座入口付近より弾薬庫入口方面を望む(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・第二砲座入口付近より弾薬庫入口方面を望む(撮影日:2021.11.23)

東京湾を一望できる広場

走水低砲台跡・第一砲座の東側にある海を望む広場(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・第一砲座の東側にある海を望む広場(撮影日:2021.11.23)

他の砲台跡もそうであるように、走水低砲台の地上部分も、海への眺望が素晴らしい場所にあります。ベンチも備え付けられていて、戦争遺跡としてではなく、東京湾を望む景色の良い公園としてだけでも、訪れる価値はあると思います。

走水低砲台跡・第一砲座の東側にある海を望む広場より東京湾を望む(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・第一砲座の東側にある海を望む広場より東京湾を望む(撮影日:2021.11.23)

兵舎

走水低砲台跡・兵舎入口(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・兵舎入口(撮影日:2021.11.23)

2つの弾薬庫の間には兵舎があります。弾薬庫と同じように地下構造になっています。こちらも内部はレンガ造りです。弾薬庫より広い空間があり、大きなアーチ状の天井までレンガがキレイに残っています。

走水低砲台跡・兵舎内部(撮影日:2021.11.23)
走水低砲台跡・兵舎内部(撮影日:2021.11.23)
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日本武尊の東征の伝説が残る 御所ヶ崎・旗山崎公園

御所ヶ崎(旗山崎公園)(撮影日:2021.11.12)
御所ヶ崎(旗山崎公園)(撮影日:2021.11.12)

走水日本武尊の東征の伝説が多く残る場所で、走水低砲台がある御所ヶ崎やその背後の旗山崎公園もその一つです。
古事記」や「日本書紀」によると、日本武尊は東征の途中、相模国(三浦半島を含む、現在の神奈川県の一部)から上総国(房総半島中部から南部の、現在の千葉県の一部)へ船で渡る準備のために、このあたりに御所を建てました。いざ海を渡る際、暴風に遭い、日本武尊の妻である弟橘媛命が入水したところ海は静まり、日本武尊一行は無事に上総国に渡ることができたと言われています。
弟橘媛命が入水した数日後、弟橘媛命の櫛が海岸に流れ着き、それを納めた社を御所ヶ崎に建てて橘神社として祀りました。
しかし、明治時代になって御所ヶ崎走水低砲台が建設されることになると、橘神社は近くの走水神社に移されました。その後、1909年(明治42年)には、橘神社走水神社に合祀されています。

古代日本の神話にも登場し、幕末、明治から昭和初期にかけては国を守るための重要拠点だった御所ヶ崎、現在の旗山崎公園は、そんなことをまったく感じさせないほど、とくに平日は、いたってのどかな普通の公園です。

なお、旗山崎公園走水低砲台には駐車場がありません。一般利用ができる最寄りの比較的大きな駐車場は、馬堀海岸方面の走水水源地駐車場か観音崎方面の横須賀美術館の駐車場になります。
いずれも、徒歩で15分ほどの場所にあります。走水水源地駐車場のほうが若干近いですが、頂上に破崎緑地(展望デッキ)がある小さな峠越えをともないます。

旗山崎公園(撮影日:2021.11.12)
旗山崎公園(撮影日:2021.11.12)
御所ヶ崎(旗山崎公園)と走水小学校の間に残る砂浜(撮影日:2021.11.12)
御所ヶ崎(旗山崎公園)と走水小学校の間に残る砂浜(撮影日:2021.11.12)

DATA

住所 横須賀市走水2-698
アクセス
行き方

京急線「横須賀中央駅」「馬堀海岸駅」、JR横須賀線「横須賀駅」より京急バス「観音崎(走水経由)」行きで『走水上町』下車

駐車場 なし
営業時間

※旗山崎公園への入園は、原則年中無休/24時間可能

<走水低砲台跡>
土曜・日曜・祝日のみ一般公開
夏季(3月~10月)9:00~17:00
冬季(11月~2月)9:00~16:00 
※12月29日~1月3日は走水低砲台跡の一般公開は休止

料金

無料

電話番号 046-822-9561(横須賀市 環境政策部公園管理課)
ウェブサイト https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/4130/sisetu/hasirimizuteihoudai.html
※掲載の内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。

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