本覚寺は、源頼朝が幕府の裏鬼門の地に創建して、日蓮も一時滞在していた夷堂があった場所に建つ、日蓮宗の寺院です。
日蓮宗総本山の身延山から日蓮の遺骨が分骨されているため、「東身延」としても親しまれています。
夷堂は鎌倉幕府滅亡の際に焼失してしまいましたが、夷堂があった場所に本覚寺が建立された際に、境内に夷堂も再興されました。
現在の夷堂は、1981年(昭和56年)に再建されたものです。
本覚寺・夷堂の夷神は、「鎌倉江の島七福神」の一人になっています。
山号 | 妙厳山 |
宗派 | 日蓮宗 |
寺格 | 本山(由緒寺院) |
本尊 | 釈迦三尊像 |
創建 | 1436年(永享8年) ※夷堂の創建は鎌倉時代初期 |
開山 | 日出 |
開基 | 足利持氏 |
本覚寺の境内には桜の木が特別多いわけではありませんが、立派な枝垂れ桜と鎌倉原産の「桐ヶ谷桜」という二種類の個性豊かな桜をたのしめる、駅チカの桜の名所です。
INDEX
源頼朝が建立した 日蓮ゆかりの 夷堂
源頼朝が幕府の守り神として建立した夷堂
源頼朝は鎌倉に幕府を開くと、幕府の守り神として、裏鬼門にあたるこの地に夷堂を建立しました。「えびす」の字が「恵比寿」ではなく「夷」なのは、現在一般的な商いの神様とされる以前の守護神としての夷様を祀ったためです。
この夷堂には、鎌倉幕府第8代執権・北条時宗の時代、佐渡配流から鎌倉に戻った日蓮が身を寄せていたと伝わっています。日蓮は、佐渡に流される以前も、現在本覚寺がある小町大路周辺で説法をしていたという言い伝えが残っています。
その後まもなく、日蓮は鎌倉を離れて、身延山に拠点を移します。
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東身延として親しまれるきっかけとなった日蓮上人分骨堂
夷堂は鎌倉幕府滅亡の際に戦火で焼けてしまいましたが、室町幕府の第4代鎌倉公方・足利持氏が開基となって、日蓮宗の僧・日出によって日蓮ゆかりの夷堂があった場所に寺を建てたのが、本覚寺のはじまりです。
その後、第2世住職の日朝が身延山から日蓮の遺骨を分骨してからは「東身延」とも呼ばれるようになりました。日朝は眼を治す仏としても信仰されていたことから、眼病に効く「日朝さま」としても親しまれています。
若宮大路に背を向けた 本覚寺の伽藍
本覚寺は鎌倉駅から徒歩約3分と、鎌倉の寺院のなかでも屈指の駅近の古刹ですが、山門は駅側の若宮大路とは反対側の小町大路に面しています。本覚寺の伽藍は、小町大路側を正面に、山門と本堂が直線上に並び、その右側に、夷堂や鐘楼などが配されています。若宮大路と小町大路をつなぐわき道からも境内に入ることができます。
本覚寺と小町大路を挟んだ反対側には、ちょうど向き合うようなかたちで、妙本寺が建っています。妙本寺は比企一族の屋敷があった場所にあり、比企一族の悲劇の地として有名ですが、日蓮宗最古の寺院で、やはり日蓮にゆかりがある寺院です。
山門
本堂
鐘楼
本覚寺は隠れた桜の名所
本覚寺には桜の木はそれほど多くありませんが、枝垂れ桜と桐ヶ谷桜、個性豊かな風情ある二種類の木をたのしめます。
枝垂れ桜
一つは、本堂の右横、日蓮上人分骨堂の前に建つ立派な枝垂れ桜です。桜の開花の時期は、鎌倉駅から若宮大路の桜並木に向かう人の流れが目立ちますが、本覚寺の枝垂れ桜は駅近の隠れた桜の名所です。
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桐ヶ谷桜
もう一つの桜の見どころは、鎌倉原産の「桐ヶ谷桜」です。桐ヶ谷は本覚寺からもほど近い材木座の古い地名です。こちらの木は小町大路側の山門の横にあり、例年、枝垂れ桜やソメイヨシノより少し遅れて見ごろを迎えます。