宝戒寺は、この地の近くにあった東勝寺(廃寺)で滅亡した北条一族の霊を弔うために、後醍醐天皇の命を受けた足利尊氏によって建立された寺院です。鎌倉幕府第2代執権・北条義時以来、北条得宗(嫡流)家が代々屋敷を構えていた場所に建てられました。
境内には、第14代執権・北条高時を德崇大権現として祀ったお堂や、北条一族や東勝寺合戦の戦没者のための慰霊碑などがあり、北条一族の最期を静かに物語っています。
山号 | 金龍山 |
宗派 | 天台宗 |
寺格 | ― |
本尊 | 子育経読地蔵大菩薩 |
創建 | 1336年(延元元年) |
開山 | 円観 |
開基 | 後醍醐天皇 |
宝戒寺は、初秋に白萩(シロハギ)の繊細な花が境内を埋めつくす「萩の寺」として有名ですが、さまざまな品種が競うように咲き誇る初春の梅も見ごたえがあります。
INDEX
北条一族の霊を弔うために建てられた寺院
後醍醐天皇の呼びかけに応じて挙兵した新田義貞は、1333年(元弘3年)、大軍を率いて鎌倉を包囲し、鎌倉攻めを開始しました。幕府の防御網を稲村ヶ崎の海岸線から突破した義貞らは、北条高時ら北条一族とその家臣たちを高時の屋敷近くにあった一族の菩提寺である東勝寺まで追い詰めます。北条高時らはそこで自害し、北条一族はほぼ滅亡しました。(東勝寺合戦)
戦の後、北条一族の霊を弔うため、後醍醐天皇の命を受けた足利尊氏によって、第2代執権・北条義時以来歴代の北条得宗家が屋敷を構えていた地に、宝戒寺が建立されました。
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鎌倉幕府滅亡の日に催される徳崇大権現会・大般若経転読会
鎌倉幕府最高権力者である第14代執権・北条高時が自刃し、鎌倉幕府が滅亡した5月22日には、北条氏鎮魂のため、德崇大権現堂の御神像を本堂に迎えて、「德崇大権現会・大般若経転読会」が執り行われます。三蔵法師玄奘がインドから持ち帰って翻訳した600巻にも及ぶ経典「大般若波羅蜜多経」を、舞うように流し読みされます。
宝戒寺は鎌倉随一の萩の寺
白萩
宝戒寺は鎌倉随一の萩(ハギ)の寺として知られています。ちょうど本堂の前を囲むように植栽されていて、そのボリュームは圧巻です。白萩が多いですが、ピンク色のハギも見られます。
宝戒寺のハギの花は、例年お彼岸のころをピークに、夏から秋への移ろいとともにたのしめます。
宝戒寺の境内では、ハギが見ごろの季節に、白い彼岸花やフヨウなど、白萩以外にも白い花を見られます。
白い彼岸花
フヨウ
1本から紅と白の花が咲く木をはじめとした 梅の名所
宝戒寺は萩(ハギ)の寺として親しまれていますが、梅の名所としても有名です。境内はそこまで広くありませんが、そこに所狭しと、個性豊かなさまざまな品種の梅が植えられているのが特徴です。
とくに、本堂の正面の、1本の木から紅と白の花が咲く品種「思いの儘(おもいのまま)」は、宝戒寺を代表する梅の木と言って良いでしょう。
また、宝戒寺の境内にはツバキも多く、梅が開花する時期にはツバキと梅の競演も見られます。
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宝戒寺で初夏に見られる花
宝戒寺境内の、鐘楼の裏にある庭園のいちばん奥では、あじさいが植栽されています。例年、鎌倉幕府滅亡の日(5月22日)ごろに色づきはじめます。
また、同じころ、本堂の前の水鉢では、睡蓮(スイレン)も見られます。
紫陽花(あじさい)
睡蓮(スイレン)
宝戒寺境内の見どころ
本堂
本堂には本尊の子育経読地蔵大菩薩(鎌倉二十四地蔵尊 札所第一番)や毘沙門天(鎌倉江の島七福神)、仏母准胝観世音(鎌倉三十三観音 札所第二番)などが安置されていて、自由に上がってお参りすることができます。(本堂内は撮影禁止)
德崇大権現堂
鎌倉幕府第14代執権・北条高時を德崇大権現として祀ったお堂です。鎌倉幕府が滅亡した5月22日には、普段は権現堂に徳崇大権現としてお祀りされている御神像を本堂に迎えて、「徳崇大権現会・大般若経転読会」が執り行われます。
聖德太子堂
聖德太子を祀ったお堂です。毎年1月22日に、職人の技術向上、商売繁盛、家内安全を祈願する「聖德太子講」が執り行われます。
大聖歓喜天堂
秘仏である大聖歓喜双身天王を祀ったお堂です。毎年5月23日には、諸願成就を祈念する「大聖歓喜天供」が執り行われます。
宝篋印塔
1333年に滅亡した北条一族と東勝寺合戦の戦没者を供養する慰霊塔です。
梵鐘
宝戒寺の梵鐘は、四季折々の花が咲く庭園のなかにあります。