本興寺は、鎌倉幕府滅亡後の1336年(延元元年)に、日蓮聖人の直弟子である天目が、かつて、日蓮が辻説法をしていた小町大路沿いに創建した寺院です。
この辺りは、ともに鎌倉幕府によって整備された「六大路」の一つ小町大路と車大路が交差する「辻」(交差点の古い呼び方)があったことから「辻町」と呼ばれていて、本興寺も「辻の本興寺」と称されています。
江戸時代前期に、第二十七世・日経が不受不施義(日蓮の教えの一つで、法華経を信仰しない者から施しを受けず供養も施さないこと)を唱えたことによって日経に関連する寺院への迫害が厳しくなり、1660年(万治3年)、本興寺は鎌倉から現在の横浜市泉区上飯田町に移りました。
その後、1670年(寛文10年)に、日蓮ゆかりのこの地に、日逞によって再興されたのが現在の本興寺です。(横浜に移転した本興寺も、現存しています)
山号 | 法華山 |
宗派 | 日蓮宗 |
寺格 | ― |
本尊 | 三宝本尊 |
創建 | 1336年(延元元年) |
開山 | 日什 |
開基 | 天目 |
本興寺の境内はけっして広いわけではありませんし、観光向けのお寺でもありませんが、春は枝垂れ桜、夏は百日紅(サルスベリ)、秋はコキアと、それぞれ鎌倉でトップクラスの草花が見られる隠れた名所でもあります。
日蓮ゆかりの地に建つ日蓮辻説法の碑
本興寺ははじめ、この地が、日蓮が辻説法の途中に休息した場所であったことから、「休息山」本興寺と称していました。その後、1382年(弘和2年)に、第二世・日什によって「法華山」本興寺と改称しています。
本興寺の境内の前、小町大路に面した場所には、日蓮辻説法の碑が建っています。
鎌倉有数の百日紅の大木
本興寺の境内でひと際存在感を示しているのが、本堂前の百日紅(サルスベリ)です。本興寺の百日紅は鎌倉でも有数の大木として知られています。その大きさ故、百日紅の木の隣りに立てられた支柱から吊るされたロープによって、各枝が支えられています。
鎌倉でめずらしいコキアを見られる寺院
近年の本興寺は、規模は小さいですが、鎌倉周辺ではめずらしいコキアを見られる寺院でもあります。コキアは、10月~11月ごろに緑色から徐々に紅く紅葉していき、一番の見ごろを迎えます。紅葉が定番ではありますが、夏の青々としたコキアもまた美しいものです。※植栽される草木は年によって異なる場合があります。