十二所神社は、鎌倉時代中期に創建された、鎌倉・十二所の鎮守です。古くは熊野十二所の社として光触寺の境内にありましたが、1838年(天保9年)に現在地に再建されました。十二所権現社などと呼ばれていましたが、明治維新によって十二所神社と改称されました。
「十二所」(かつての鎌倉郡十二所村)という地名は、十二所神社に由来します。
熊野権現を祀ったのが十二所神社のはじまりと考えられますが、この辺りには、朝夷奈切通の山中にも源頼朝が創建したと伝わる熊野神社(横浜市金沢区朝比奈町)が鎮座しています。
朝夷奈切通周辺は、熊野神の信仰が強い地域だったのかもしれません。
なお、1182年(寿永元年)、北条政子の安産祈願のために三浦一族の佐原義連が派遣された「三浦十二天」は、横須賀市芦名にある十二所神社のことです。
主祭神 | 天神七柱 地神五柱 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 1278年 (弘安元年) |
祭礼 | 9月第1日曜日 例大祭 |
鎌倉最東端に鎮座する神社
十二所は、鎌倉市のもっとも東側に位置しています。さらに東へ進んで、朝夷奈切通の峠を越えると、東京湾側の横浜市です。横浜市側の六浦は、かつて、貿易港や塩田として栄えたまちで、この東西を貫くルートは重要な道でした。
それは、源頼朝が鎌倉入りした平安時代末期から鎌倉時代初期には、梶原景時や上総広常といった有力御家人が、御所から離れたこの辺りに屋敷を構えていたことからも分かります。
1956年(昭和31年)に、朝夷奈切通のバイパスとして県道204号(金沢街道)が開通しますが、それまでは、朝夷奈切通を通るルートが、鎌倉と六浦方面の、三浦半島北部を東西に結ぶ幹線道路でした。
十二所神社や光触寺は、朝夷奈切通の鎌倉側の入口に位置していますが、県道が完成する前も、この周辺が峠を越える最後の集落だったと考えられ、十二所神社には、旅の安全を祈願する参拝者も立ち寄っていたことでしょう。
縁結びの使者や繁栄の象徴とされる波に乗ったウサギ
十二所神社の本殿の軒下には、波に乗ったウサギの彫刻が掘られています。うさぎは縁結びの使者であるとともに、多産であることから繁栄の象徴ともされています。
「波にうさぎ」「波兎」といった意匠は、水面に映し出された満月が風でたゆたう様子を、ウサギが波乗りをしている姿にたとえたものとも言われています。
十二所神社の境内社
山の神
疱瘡神&宇佐八幡
地主神
十二所神社周辺の見どころ
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