海南神社は、三崎港の近くに鎮座する三浦半島(相模国三浦郡)の総鎮守です。古くから漁業で栄えた三崎という土地柄、食の神様である磐鹿六雁命が祀られていたり、包丁を供養するお祭りが行わるのが特徴です。
また、海南神社の境内には、三浦七福神の筌龍弁財天や龍神大神を祀る龍神社、疱瘡の神様と崇められている源為朝、目の神様として親しまれている鎌倉権五郎景政など、数多くの神様が相殿や境内社として祀られています。
三浦の総鎮守として信仰を集めてきた海南神社には、平安時代から鎌倉時代にかけて三浦半島で活躍した三浦一族や、その主君でもあった源頼朝とゆかりが深い神社として、歴史上の人物にまつわる数々の逸話も残されています。
主祭神 | 藤原資盈 盈渡姫 地主大神 |
旧社格等 | 郷社 |
創建 | 982年(天元5年) ※本宮の創建は866年(貞観8年) |
祭礼 | 1月1日 歳旦祭 1月9日 初神楽 1月15日 チャッキラコ奉納 2月最初の午の日 初午祭 2月11日 いなりっこ奉納 2月21日 春祭(祈年祭) 3月3日 ひな祭り 4月中旬 高家神社例祭 食の神祭典 5月5日 こどもの日 6月7日 八雲祭(お天王様) 神輿渡御 6月30日 大祓(夏越の祓、茅の輪くぐり) 7月7日 七夕短冊祈願祭 7月海の日前の土・日曜日 例大祭 行道獅子・神輿渡御 11月最初の未の日 出居戸祭 11月最初の未の日の翌申酉両日 面神楽奉納舞 11月25日 秋祭(新嘗祭) 12月15日 酉の市 12月31日 大祓(年越の祓) 除夜祭 毎月1日 月次祭 ※実際の日にちは異なる場合があります |
毎年1月15日に行われる小正月の伝統行事「チャッキラコ」(風流踊)は、ユネスコの無形文化遺産や国の重要無形民俗文化財に登録されています。小学生くらいまでの晴れ着姿の少女たちが、家内安全・商売繁盛・大漁祈願などの願いを込めて、踊りを奉納します。
チャッキラコは、江戸時代にはじまった祝いの踊りが起源とされています。その発祥については2つの伝説があり、海南神社の御祭神である藤原資盈の妃・盈渡姫が庶民の娘に教えたという説と、三崎に来遊した源頼朝の望みにより少女たちが即興的に踊ったのがはじまりとする説が伝えられています。

INDEX
三浦半島の総鎮守

864年(貞観6年)、清和源氏の祖でもある清和天皇の時代、御祭神である藤原資盈は皇位継承争いに絡んで左遷となり任地の筑紫に向かう航海の途中、暴風に遭い、三崎に漂着しました。
藤原資盈は、房総の海賊を平定して、三崎の民に漁業をはじめとした教養や文化を教え、人々から崇敬されました。866年(貞観8年)に資盈が没すると、現在、海南神社が鎮座する場所からほど近い花暮海岸に祠を建立して祀りました。
982年(天元5年)には現在の場所に社殿を造営して、三浦郡の総社となりました。
その後、1719年(享保4年)には三浦半島の総鎮守に、1873年(明治6年)には郷社になりました。


三浦一族や源頼朝にまつわる逸話


平安時代末期に源頼朝が挙兵した際、時の三浦一族当主の三浦大介義明は、氏神であった海南神社で源平のどちらが勝つか「神事狐合」で占いました。白と赤の狐を闘わせて白い狐が勝ったので、三浦義明とその一族は頼朝に味方したと伝わっています。
鎌倉幕府を創設した後、有力御家人となった三浦氏の所領である三崎や城ヶ島の地に、源頼朝は何度も来遊しました。
海南神社の境内には、頼朝が植えたと伝わる御神木となっている大銀杏が、雄株と雌株の2本あります。雄株は龍神社にかかる枝が龍神様の形をしていると言われていて、雌株は枝が垂れていて乳房のような形をしていると言われています。
雌株の下には、子宝・安産・良縁の石である「子産石」が安置されています。軽く触れることで願いが叶うとされています。


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食の神様・磐鹿六雁命を祀る神社

海南神社はまた、食の神様を祀る神社としても親しまれています。例年4月には、「食の神フェスティバル」が開催されています。
境内社の相州海南高家神社は料理の神様・磐鹿六雁命を祀っています。磐鹿六雁命は、景行天皇が日本武尊の東国征討の跡を追って三浦半島から安房上総に巡行された際に、天皇の料理賄方だった料理人です。境内に掲げられている磐鹿六雁命の大絵馬が目をひきます。この大絵馬は、旧一万円札の聖徳太子の肖像画などで有名な、馬堀法眼喜孝画伯によるものです。
また、海南神社には、使い古された包丁に労わりの心をこめて納める包丁奉納殿や、包丁への感謝と人の食膳に供された鳥獣魚菜の霊をなぐさめる包丁塚などもあり、料理人からの信仰も集めています。


海南神社周辺の見どころ




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