鎌倉山神社は、昭和初期に笛田周辺の丘陵地を「鎌倉山」として住宅地の開発をはじめたときに、この地へ笛田の鎮守・三嶋神社の分霊を勧請したのがはじまりです。
1935年(昭和10年)には社殿を改築して、「鎌倉山神社」と改称されました。
もとは笛田の農民や津村(腰越津村は、現在の七里ヶ浜や腰越の一部とその内陸部。現在の狭義の「津」は、西鎌倉駅の東側一体)の漁師たちから、山の神・海の神として信仰をあつめてきた神様でしたが、鎌倉山住宅地の鎮守として祀られました。
主祭神 | 大山津見命 |
旧社格等 | ― |
創建 | 昭和初期 |
祭礼 | 8月8日 例祭 ※実際の日にちは年によって異なる場合があります |
鎌倉山神社の境内を出て右側は「旭丘」と呼ばれる地区で、その名のとおり、高台にあるため、開けた場所からは日の出をキレイに見られます。
左側へ行くと山道が続いていて、月影地蔵を経由して極楽寺方面や、稲村ヶ崎方面へ抜けることができます。この山道はおそらくかなり昔からある古道で、鎌倉山が開発される前は、現在の住宅地にもこのような古道が通っていたことだろうと想像させてくれます。
INDEX
由比ヶ浜から七里ヶ浜まで見渡す 海の神
鎌倉山神社の裏山は、鎌倉山でもっとも標高が高い場所で、国土地理院の地図によると、標高「119.1m」とあります。鎌倉山神社の近くからは、由比ヶ浜から稲村ヶ崎の裏側を経て七里ヶ浜まで、海岸線こそ見えませんが、ふもとの住宅地の先に海があるのを確認できます。
海から遠いのにも関わらず海の神として漁師に崇められてきたのは、鎌倉山神社の鎮座する丘陵地が、海上から良い目印になっていたためでしょう。
鎌倉山山頂から命の水を届ける 山の神
また、1932年(昭和7年)発行の「鎌倉山住宅地株式会社分譲地略図」によると、この鎌倉山神社の裏山には「鎌倉山私設上水道配水槽」があるのを確認できます。夫婦池のあたりが水源地となっていますので、そこから鎌倉山の山頂に汲み上げて、各戸へ配水していたことが分かります。
大船~片瀬間に日本初の有料の自動車専用道路(戦後から1980年代に有料道路としての営業を終了するまで「京浜急行自動車専用道路」や「京浜急行有料道路」と呼ばれた、現在、主に湘南モノレール直下を走る道路)を敷いたように、鎌倉山に住宅地を開発するのにあたって、行政に頼らず、開発会社自らがインフラも整備していたことが分かります。