三浦・南下浦町上宮田の諏訪神社は、京急久里浜線の津久井浜駅と三浦海岸駅の中間の、線路沿いに鎮座する旧上宮田村の鎮守です。社殿のすぐ後ろには電車が通っていますが、それをあまり感じさせません。通過する本数自体が少なめということもありますし、さすがに電車が通過している間は静かとは言えませんが、境内をおおう豊かな社叢林が自然の吸音材になっているようで、騒音はだいぶ軽減されています。
この京急線の線路を越えた山側にあたる、上宮田字石作にあった薬師堂裏山の石窟に鎮座していたものを現在地へ移したのが、上宮田の諏訪神社のはじまりと伝えられています。
諏訪神社の参道から境内の右側を通り抜ける道は、国道134号と県道214号武上宮田線のショートカットとして地元の人によく利用されていて、こちらの交通量は意外と多めです。
主祭神 | 建御名方神 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 天保年間以前 |
祭礼 | 1月1日 元旦祭 2月27日 春祭 7月27日 例祭 11月27日 秋祭 ※実際の日にちは異なる場合があります |
INDEX
海防陣屋が置かれた江戸後期に建立された社殿
現在の諏訪神社の社殿は、江戸時代後期の1842年(天保13年)に建立されたもので、拝殿と内陣鞘宮は、鎌倉の宮大工・河内長左衛門によるものとされています。
江戸時代後期の上宮田村には、異国船渡来に対する三浦半島や江戸湾(東京湾)を警備するための拠点として、海防陣屋が置かれていました。
この海防陣屋では、1847年(弘化4年)から彦根藩が、ペリーが黒船で来航した1853年(嘉永6年)からは長州藩、1858年(安政5年)からは熊本藩と、およそ5年ごとに交代しながら、各藩が警備にあたりました(熊本藩の後は浦賀奉行に移管)。
上宮田村の鎮守であった諏訪神社は、彦根藩から石灯籠の奉納を受けるなど、各藩の藩士らからの崇敬もあつかったようです。
「かまくらと三浦半島の古木・名木50選」選出の御神木・ホルトノキ
社殿をぐるっと囲むように育った諏訪神社の社叢林は、鳥居から一直線にのびる参道の末端、三浦海岸沿いを走る国道134号からも目立ちます。
とくに、社殿の向かって右手前にそびえる御神木のホルトノキは、厳かな中にも強い生命力を感じさせてくれる大木で、三浦市保護樹木に「諏訪神社のホルトノキ」として指定されている他、「かまくらと三浦半島の古木・名木50選」にも「三浦海岸諏訪神社のホルトノキ」として選ばれています。
諏訪神社(上宮田)の境内社
琴平社
上宮田の諏訪神社境内に鎮座する琴平社には、烏天狗と翁の面が掲げられた絵馬が奉納されています。三浦半島ではなかなか見かけることがない、めずらしいものです。