横須賀・長井の住吉神社は、住吉三神の一柱である中筒男命を祀る古社です。近くの長井熊野神社を勧請した鈴木三郎家長が村人とともに、鎌倉時代初期の建久年間(1190年~1199年)に創建したと伝えられています。
古くから長井の総鎮守は長井熊野神社でしたが、信仰にあつい半農半漁の長井のまちらしく、さらに、岡の神様として八雲神社が、漁の神様としては住吉神社が、それぞれ別々に祀られてきました。
主祭神 | 中筒男命 |
旧社格等 | ― |
創建 | 建久年間(1190年~1199年) |
祭礼 | 5月15日 春季例祭 11月15日 秋季例祭 ※実際の日にちは異なる場合があります |
長井町荒井の道切り(横須賀市指定重要無形民俗文化財)
住吉神社が鎮座する長井の荒井地区には、「道切り」と呼ばれる古い風習が今も残っています。
「道切り」とは、疫病や災厄などの悪いものが村に入ってくるのを防ぐため、村境にしめ縄を張る習俗です。
長井町荒井の道切りでは、わらで作った蛇・刀剣・大きなわらじ・サイコロが、しめ縄に吊り下げられます。
これらのしめ縄は、春と秋の住吉神社の例祭にあわせて用意されて、勧明寺前の通りや、長井熊野神社前の漆山地区との境など、荒井地区の3ヵ所に取り付けられます。
また、住吉神社の社殿や鳥居など3ヵ所には、大しめが張られます。
このような習俗は日本各地で見られるものですが、三浦半島では荒井地区のみに残っていて、神奈川県内でもとてもめずらしい風習です。
相模湾に面した漁業のまち・長井は、古くより、漁師やその関係者などから、さまざまな文化がもたらされ、交差する場所でした。明治以降、急速に近代化が進んでいった横須賀のなかでも、長井は市街地から離れていたため、その波に飲み込まれることがありませんでした。また、鉄道の駅からも遠く、都会との往来には不便な立地だったため、逗子や葉山のような別荘地になることもなく、不特定多数の人が流入する機会も多くありませんでした。
このように、古い風習が継承されやすい風土が長井にはあったことから、道切りのような伝統が今も見られる要因なのでしょう。
あるいは、道切りが、頻繁に手入れをしないと継続していかない風習だったと言うことが影響していることも考えられます。
道切りも含む広義の道祖神信仰では石塔が祀られることが多く、物理的には、ほとんどメンテナンスすることなく百年単位で遺っていきます。一方、長井町荒井の道切りで使用されるようなしめ縄は数か月で寿命が訪れます。
このような、手のかかる神様がまち角にいることで、精神的に長井・荒井の人々の熱量を冷めにくいものにし、今につながっているのかもしれません。
古くから長井荒井漁港を見守る漁の神様
住吉神社の真っ赤な鳥居は、遠くからでもよく目立ちます。決して広い境内ではありませんが、緑が深い社叢林に囲まれた様子は、神聖さを感じさせてくれます。
漁の神様らしく、住吉神社の目の前には長井荒井漁港があります。その長井荒井漁港との間は、チビッコ広場と名づけられた広場になっています。