大津諏訪神社は、平安時代の824年(天長元年)に、信濃国・諏訪大社より分霊を勧請して創建されたと伝わる、三浦半島でも指折りの古社です。
大津の周辺には、大津諏訪神社だけでなく、走水神社や安房口神社といった、古代より続く神社が集中しています。このため、三浦半島の中でもっとも古くから神社を中心に「まつりごと」(祭り事、政)が行われるような日本古来の文化が根付いた集落が点在していたものと考えられます。
大津諏訪神社の参道から一直線にのびる通りはかつての浦賀道(西回り浦賀道。東海道・戸塚宿から浦賀に至る脇街道)で、前方の衣笠方面から来た道は、大津諏訪神社の鳥居の前で直角に曲がり、浦賀方面に続いていきます。
また、この道筋は古東海道(律令時代の畿内から常陸国に至る官道で、相模国と上総国の間は、鎌倉、逗子、葉山から三浦半島を東西に横断して、走水付近より海路で房総半島に渡るというルートだったと考えられています)のルートの一つであったとも考えられています。
「大津」という地名の由来も大きな湊・港から来ていると考えられていて、房総半島や江戸方面あるいは太平洋沿岸とは海路でつながり、相模国や古東海道/東海道で通じる西国とは陸路でつながる、交通の要衝にありました。
このような、古くから交易が盛んに行われてきた場所の鎮守として、大津諏訪神社は、地元の民や旅人たちから長く親しまれてきました。
主祭神 | 建御名方命 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 824年(天長元年) |
祭礼 | 1月1日 歳旦祭 2月11日 紀元祭 2月23日 天長祭 3月春分 祈年祭【春祭】 6月30日 夏越の大祓 8月27日に近い土・日曜日 例祭 10月17日 神嘗祭当日祭 11月23日 新嘗祭【秋祭】 12月31日 古神札焼納祭・除夜祭 ※実際の日にちは年によって異なる場合があります |
大津諏訪神社は2024年(令和6年)に創建1,200年の節目を迎えます。これを記念して「御鎮座千二百年 奉祝記念事業」として、本殿の改修や御柱祭が執り行われます。
INDEX
三浦一族や向井将監らの崇敬をあつめてきた大津諏訪神社
大津諏訪神社に勧請された諏訪大神は、諸業開発、守護、勇武の神として崇められ、執権北条氏の祖先にあたる平貞盛、三浦氏宗家の第4代当主・三浦大介義明、江戸幕府の船手頭・向井将監などが祈願奉納、社殿修復されてきたと伝えられています。
現在の大津諏訪神社の本殿は旧矢神神社、拝殿は大津字竹沢の旧白山神社のものを移築・再興したものです。いずれも、1923年(大正12年)の関東大震災によって倒壊した大津諏訪神社の社殿を再建するために、比較的被害の少なかった近隣の神社から移されてきました。
鳥居脇の、崖の上下にいる親子の狛犬も、竹沢の旧白山神社から移設されてきたものです。
関東大震災での被災を契機に10の神社を合祀した大津の総鎮守
旧大津村の周辺(概ね、現在の横須賀市大津行政センター管内から走水周辺を除いた地域)には、関東大震災前まで、9ヶ所に10の神社がありました。
しかし、関東大震災によってその多くは倒壊してしまったため、大津の総鎮守である大津諏訪神社で御神体を預かり、再建されることになりました。
そのため、現在の大津諏訪神社には、主祭神の建御名方命の他、天照大神(神明社[字竹沢])・白山比売命(白山社[字新富]・[字竹沢])・倉稲魂命(矢津社[字矢ノ津])・菅原道真(天満社[字保込])・三浦義村(千片社[字根岸])・大己貴命(稲荷社[字宿])・素戔嗚尊(八坂神社[字池田])が合祀されています。(この他に、字馬堀と字池田にも諏訪社がありました)
大津諏訪神社の例祭(夏祭り)は、神様がお神輿に乗って元の氏子集落に里帰りする行事でもあります。
大津諏訪神社境内の見どころ
御神木・梶の木
稲荷社
大津諏訪神社境内社の稲荷社は、幕末から明治時代初期に京都・伏見稲荷大社より御祭神を勧請し、祀られました。
大津では幕末より、伏見稲荷大社や豊川稲荷、愛染稲荷、白笹稲荷などから、邸内や集落に稲荷神社を盛んに勧請したと言います。大津諏訪神社の稲荷社の脇には、後継者難でお祀りできなくなった祠が祀られています。
大津諏訪神社の稲荷社には、安産守護の子安石も祀られています。
琴平神社
大津諏訪神社境内社の琴平神社は、漁師、網元、回船問屋等の繁栄を祈願して、1805年(文化2年)に、讃岐国・金毘羅大権現(金刀比羅宮)の御祭神を勧請し、海上安全の守護神として祀られました。
菅原公千年祭記念碑
元は大津字保込にあった天満社に鎮座していたもので、1902年(明治35年)に、御祭神である菅原道真の千年忌にあたって建立されたものです。