北条首やぐらは、1333年(元弘3年)の新田義貞らによる鎌倉攻めで敗れた北条一門を祀っているとされるやぐら(横穴式の墳墓または供養の場)です。北条得宗(嫡流)家の菩提寺で、北条一門の最後の砦となった北条得宗家の屋敷の隣りに位置する東勝寺で、鎌倉幕府第14代執権・北条高時をはじめとした北条一族とその家臣たち870人余は、最期を悟ると、東勝寺で自害したと言われます。
その際、北条高時らの首を敵に渡さないように逃げ延びた者がいて、この地に祀ったと言われています。
江戸時代後期に成立した地誌「新編相模国風土記稿」では、北条高時の首塚は光触寺の北側にある牛蒡ヶ谷の巌窟(やぐら)にあると紹介されています。
現在は、北条首やぐらへのアクセスは天園ハイキングコースの瑞泉寺口経由が一般的ということもあり、「北条首やぐらは瑞泉寺裏山にあるやぐら」と表現されることが多いです。
しかし、「新編相模国風土記稿」の記述によると、牛蒡ヶ谷(御坊ヶ谷)の谷戸奥を越えた先が瑞泉寺のある紅葉ヶ谷最奥にあたり、北条首やぐらは丁度その間の山上に位置していますので、どちらの表現も正しいことになります。谷戸が複雑に入り組んだ、鎌倉ならではの表現の難しさと言えるかもしれません。
今も鎌倉に数多く現存するやぐらのほとんどは、そこに誰が葬られているのかと言った、いわれが伝えられていません。その点において、明確な伝承が残る北条首やぐらはめずらしい存在です。
(鎌倉には、鎌倉市によって名前の付けられている「やぐら/やぐら群」または「横穴/横穴群」が200近く存在しています。しかしながら、これらのなかに「北条首やぐら」という名前の「やぐら/やぐら群」や明確にこれに該当しそうな「やぐら/やぐら群」はありません。本来、北条首やぐらはその周辺に点在する瑞泉寺裏山やぐら群の一部として紹介するべきかもしれませんが、ここでは、その特殊性から独立したやぐらとして紹介しています)
INDEX
北条首やぐらの現況
現在の北条首やぐらは、他の多くのやぐらと同じように崖地にあって、複数の横穴が見られます。いくつかのやぐらの内部には、小さな五輪塔のようなものが並んでいます。
保存状態は、近くの天園ハイキングコース上のやぐら群よりは良好に見えます。
北条首やぐらの周辺には複数のやぐら群がありますが、はっきりとそのいわれが伝わるやぐらはほとんどなく、そのような意味でも貴重なやぐらと言えます。
北条首やぐらの行き方
北条首やぐらは瑞泉寺の裏山に位置しています。現在の天園ハイキングコースの瑞泉寺口から15分ほど歩いた場所にあります。ハイキングコースからは少し外れた場所にありますが、ハイキングコースの山道上に道標が立っているため、見落とさなければ、比較的分かりやすいと言えます。
道標には文政12年(1829年)の銘があり、江戸時代後期に整備されたものであることが分かります。また、同様の道標は鎌倉宮境内の側道(永福寺跡・瑞泉寺方面への道)にもあります。このことから、遅くとも江戸時代には現在の天園ハイキングコースの山筋は使われていて、鎌倉宮(当時は東光寺。鎌倉宮は明治初期に東光寺跡に創建されました)横を経由した、史跡めぐりの観光コースが存在していたことが分かります。
天園ハイキングコース上の北条首やぐらへの道標から、天園方面へ少し登って行くと、貝を吹きながら北条高時らの首を埋める場所を導いてくれたというお地蔵様「貝吹地蔵」が祀られています。
鎌倉・逗子で見られるその他の「やぐら」
天園ハイキングコース周辺
北鎌倉周辺(山ノ内)
源氏山周辺(扇ガ谷)
金沢街道周辺(浄明寺)
逗子周辺
天園ハイキングコースの見どころ
「鎌倉アルプス」とも言われる天園ハイキングコースは、鎌倉市街地の背後にそびえる山々を横断するハイキングコースです。
そのため、鎌倉・二階堂方面や北鎌倉方面の寺院などを行き来するアクセス路としても利用できます。
また、東に進むと、鎌倉市最高峰の大平山や天園を経由して、横浜自然観察の森や金沢市民の森、横浜市最高峰の大丸山、金沢自然公園(金沢動物園)などの横浜・金沢区方面に抜けることができます。
鎌倉・二階堂方面
尾根道周辺
北鎌倉方面
今泉台方面
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