スポンサーリンク

北条首やぐら | 瑞泉寺裏山の天園ハイキングコース近くにある高時らの首塚

北条首やぐら(撮影日:2022.12.15) 鎌倉
北条首やぐら(撮影日:2022.12.15)

北条首やぐらは、1333年(元弘3年)の新田義貞らによる鎌倉攻めで敗れた北条一門を祀っているとされるやぐら(横穴式の墳墓または供養の場)です。北条得宗(嫡流)家の菩提寺で、北条一門の最後の砦となった北条得宗家の屋敷の隣りに位置する東勝寺で、鎌倉幕府第14代執権・北条高時をはじめとした北条一族とその家臣たち870人余は、最期を悟ると、東勝寺で自害したと言われます。
その際、北条高時らの首を敵に渡さないように逃げ延びた者がいて、この地に祀ったと言われています。

江戸時代後期に成立した地誌「新編相模国風土記稿」では、北条高時の首塚光触寺の北側にある牛蒡ヶ谷ごぼうがやつ巌窟(やぐら)にあると紹介されています。
現在は、北条首やぐらへのアクセスは天園ハイキングコース瑞泉寺口経由が一般的ということもあり、「北条首やぐらは瑞泉寺裏山にあるやぐら」と表現されることが多いです。
しかし、「新編相模国風土記稿」の記述によると、牛蒡ヶ谷(御坊ヶ谷)の谷戸奥を越えた先が瑞泉寺のある紅葉ヶ谷最奥にあたり、北条首やぐらは丁度その間の山上に位置していますので、どちらの表現も正しいことになります。谷戸が複雑に入り組んだ、鎌倉ならではの表現の難しさと言えるかもしれません。

今も鎌倉に数多く現存するやぐらのほとんどは、そこに誰が葬られているのかと言った、いわれが伝えられていません。その点において、明確な伝承が残る北条首やぐらはめずらしい存在です。
(鎌倉には、鎌倉市によって名前の付けられている「やぐら/やぐら群」または「横穴/横穴群」が200近く存在しています。しかしながら、これらのなかに「北条首やぐら」という名前の「やぐら/やぐら群」や明確にこれに該当しそうな「やぐら/やぐら群」はありません。本来、北条首やぐらはその周辺に点在する瑞泉寺裏山やぐら群の一部として紹介するべきかもしれませんが、ここでは、その特殊性から独立したやぐらとして紹介しています)

北条首やぐら-1(撮影日:2022.12.15)
北条首やぐら-1(撮影日:2022.12.15)
スポンサーリンク

北条首やぐらの現況

北条首やぐら-2(撮影日:2022.12.15)
北条首やぐら-2(撮影日:2022.12.15)

現在の北条首やぐらは、他の多くのやぐらと同じように崖地にあって、複数の横穴が見られます。いくつかのやぐらの内部には、小さな五輪塔のようなものが並んでいます。
保存状態は、近くの天園ハイキングコース上のやぐら群よりは良好に見えます。

北条首やぐらの周辺には複数のやぐら群がありますが、はっきりとそのいわれが伝わるやぐらはほとんどなく、そのような意味でも貴重なやぐらと言えます。

北条首やぐら-3(撮影日:2022.12.15)
北条首やぐら-3(撮影日:2022.12.15)
スポンサーリンク

北条首やぐらの行き方

北条首やぐら瑞泉寺の裏山に位置しています。現在の天園ハイキングコース瑞泉寺口から15分ほど歩いた場所にあります。ハイキングコースからは少し外れた場所にありますが、ハイキングコースの山道上に道標が立っているため、見落とさなければ、比較的分かりやすいと言えます。

道標には文政12年(1829年)の銘があり、江戸時代後期に整備されたものであることが分かります。また、同様の道標は鎌倉宮境内の側道(永福寺跡瑞泉寺方面への道)にもあります。このことから、遅くとも江戸時代には現在の天園ハイキングコースの山筋は使われていて、鎌倉宮(当時は東光寺。鎌倉宮は明治初期に東光寺跡に創建されました)横を経由した、史跡めぐりの観光コースが存在していたことが分かります。

北条首やぐら・天園ハイキングコース上の道標(撮影日:2022.12.15)
北条首やぐら・天園ハイキングコース上の道標(撮影日:2022.12.15)

天園ハイキングコース上の北条首やぐらへの道標から、天園方面へ少し登って行くと、貝を吹きながら北条高時らの首を埋める場所を導いてくれたというお地蔵様貝吹地蔵」が祀られています。

スポンサーリンク

鎌倉・逗子で見られるその他の「やぐら」

天園ハイキングコース周辺

北鎌倉周辺(山ノ内)

源氏山周辺(扇ガ谷)

金沢街道周辺(浄明寺)

逗子周辺

スポンサーリンク

天園ハイキングコースの見どころ

鎌倉アルプス」とも言われる天園ハイキングコースは、鎌倉市街地の背後にそびえる山々を横断するハイキングコースです。
そのため、鎌倉・二階堂方面や北鎌倉方面の寺院などを行き来するアクセス路としても利用できます。
また、東に進むと、鎌倉市最高峰の大平山天園を経由して、横浜自然観察の森金沢市民の森、横浜市最高峰の大丸山金沢自然公園金沢動物園)などの横浜・金沢区方面に抜けることができます。

鎌倉・二階堂方面

獅子舞(獅子舞谷)
獅子舞ししまいは、鎌倉の山で見られる一番の紅葉の名所です。獅子舞谷ししまいがやつの山奥に、例年、11月下旬にはイチョウの黄葉が、12月上旬にはモミジの紅葉が、どちらも鎌倉で最高クラスのスケールと美し...
覚園寺
覚園寺は、1218年(建保6年)に鎌倉幕府第2代執権・北条義時よしときが建立した大倉薬師堂を前身とする寺院です。鎌倉幕府第3代将軍・源実朝みなもとのさねともが鶴岡八幡宮で公暁に暗殺される前年、義...
永福寺跡
永福寺ようふくじは1192年(建久3年)に源頼朝が創建した寺院です。読み方は「えいふくじ」ではなく、「ようふくじ」です。源頼朝による1189年(文治5年)の奥州合戦(奥州征伐)で戦死した、奥州藤...
鎌倉宮(大塔宮)
鎌倉宮かまくらぐうは、明治天皇の勅命によって創建された、後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりながしんのう/もりよししんのう)を祀る神社です。護良親王は還俗する前は大塔宮(おおとうのみや/だいとうのみ...
瑞泉寺
瑞泉寺ずいせんじは、夢窓疎石むそう そせき(夢窓国師)によって建立された、臨済宗円覚寺派の寺院です。紅葉ヶ谷もみじがやつと呼ばれる谷戸に建っていて、その名前のとおり紅葉の名所として知られています...

尾根道周辺

貝吹地蔵
貝吹地蔵かいふきじぞうは、天園ハイキングコースの天園~瑞泉寺口間のちょうど中間付近に建つお地蔵様です。鎌倉幕府が滅亡した1333年(元弘3年)、新田義貞らによる鎌倉攻めで最期を悟った鎌倉幕府...
天園
鎌倉を代表するハイキングコースである天園ハイキングコースの名前の由来となった「天園てんえん」は、日露戦争で連合艦隊を率いた東郷平八郎が「天国の園に遊ぶよう」と形容したことに由来していると言われていま...
大平山
大平山おおひらやまは鎌倉市の最高峰で、標高159.4mの山です(最高地点は天園の広場)。天園ハイキングコースの中継地点になっていて、天園方面に下った先にはコース上唯一の公衆トイレがあります(公衆トイ...
百八やぐら群
百八やぐら群は、鎌倉・二階堂の谷戸に建つ覚園寺の裏山一帯に広がるやぐら群です。やぐらは、天園ハイキングコース(鎌倉アルプス)の覚園寺入口と今泉台6丁目入口の分岐(交差点)付近から、覚園寺の山号になっ...
十王岩
十王岩じゅうおういわは、建長寺境内最奥・半僧坊の裏にある勝上嶽展望台から天園ハイキングコースを大平山方面に5分ほど歩いた場所にある磨崖仏です。鎌倉の中心市街への眺望が良いことから、「鎌倉十王岩の眺望...
勝上嶽展望台
勝上嶽展望台(勝上巚展望台)しょうじょうけん てんぼうだいは、建長寺境内最奥の山上に位置する、鎌倉でも有数の眺望スポットです。勝上嶽の中腹には建長寺の鎮守・半僧坊が鎮座していて、ここから急な階段を登...

北鎌倉方面

今泉台方面

▼その他の鎌倉のパワースポットはこちら▼

【2024 No.3】特集 | 鎌倉の最強パワースポット

DATA

住所 鎌倉市二階堂
アクセス
行き方

JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで終点『大塔宮』下車、天園ハイキングコース瑞泉寺口経由で、徒歩約25分
または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約60分

駐車場 なし
料金

無料

※このページに掲載している内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。
※地図は、右上のレイヤーボタンから、「オープンストリートマップ」「地理院地図」「Google マップ」に切り替えられます。大まかな場所を知りたい場合は「Google マップ」、目的地付近の詳細な道路地図を調べたい場合は「オープンストリートマップ」または「地理院地図」を選択すると分かりやすいです。左上の縮尺ボタンとあわせてご活用ください。
error: 申し訳ありません。コピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました