京急線の横須賀中央駅近くに鎮座する諏訪神社は、三浦半島イチの繁華街に隣接していて、この「下町」で商売をする人たちを中心に、深く崇敬されています。
そんな諏訪神社も、かつては海辺の丘に鎮座していて、横須賀村の漁業の神様として信仰されてきました。現在、諏訪神社が鎮座する若松町は、明治時代の前半に、埋め立てによってできたまちです。
とくに、境内社である大鷲神社の祭礼「酉の市」の日には、開運や商売繁盛のご利益があるとされる熊手やダルマを買い求める人たちで一日中賑わいます。駅近の境内が所狭しと出店で賑わう「酉の市」は、横須賀中央エリアの11月の風物詩になっています。
主祭神 | 建御名方命 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 1573年(天正元年) |
祭礼 | 1月1日 歳旦祭 2月節分 節分祭 3月上旬 祈年祭 5月25日に近い日曜 例祭 11月下旬 新嘗祭 11月酉の日 大鷲祭「酉の市」 |
INDEX
室町時代末期に諏訪明神を勧請して創建
諏訪神社は、室町時代末期の1573年(天正元年)に、信濃国諏訪明神(現在の諏訪大社)の分霊を勧請して創建されたと伝えられています。
現在の諏訪神社の社殿は、1923年(大正12年)に造営されたものです。
かつての諏訪神社は、横須賀村の中横須賀字瀧に鎮座していました。当時は、豊川稲荷のある山が海に突き出ていて、その岬にあったと言います。幕末までは、現在の横須賀中央大通りより海側はほとんど海の下にあり、諏訪神社も海を望む場所に鎮座していました。
諏訪神社が鎮座する若松町をはじめ、現在のいわゆる横須賀中央エリアを構成する大滝町、米が浜通、日の出町、小川町といった町の大部分は、幕末から戦前までにかけて造成された埋立地です。
それが、明治に入り、横須賀軍港の設置で増えた人口に対応するため、付近の山を崩して埋め立てることになり、現在の場所に遷座されました。
寒村から三浦半島イチの繁華街への変貌を見守ってきたお諏訪様
横須賀に軍港が置かれるまでの横須賀村(現在の横須賀中央エリアから汐入方面一帯)は小さな漁村に過ぎず、諏訪神社も漁業の守護神として崇敬をあつめていました。
そんな寒村だった横須賀の環境が一変したのは、幕末に、横須賀製鉄所(後の横須賀造船所、横須賀海軍工廠。※いずれも、いわゆる「造船所」)が建設されてからです。明治に入ってからは旧日本海軍の横須賀鎮守府が置かれ、横須賀は軍港都市として急激に発展していきました。
現在の場所に遷座された当時の諏訪神社周辺は、横須賀鎮守府庁舎(現在の米海軍横須賀基地司令部庁舎)などが置かれた横須賀軍港の中心地からは離れた、市街地のもっとも外れに位置していました。
しかし、1930年(昭和5年)、諏訪神社のすぐ隣りに現在の京急線横須賀中央駅が開業すると、諏訪神社周辺も市街地化が進み、今では三浦半島でもっとも人通りが多く、栄えているエリアになりました。
諏訪神社は、横須賀中央エリアが、寒村から三浦半島随一の繁華街へと変貌していく様子を、常に間近で見守り続けてきた神様です。
諏訪神社の境内社
大鷲神社と稲荷神社
諏訪神社の社殿の左手には、大鷲神社と稲荷神社が並んで建っています。
大鷲神社の祭礼「酉の市」は、毎年11月の酉の日に行われます。この11月の酉の日は、年によって「二の酉」までの年と「三の酉」まである年があり、2回ある年と3回ある年とがあります。
水天宮
諏訪神社の社殿の右奥には、水天宮が鎮座しています。水天宮は、安産祈願や子授け、子育てといった子どもに関するご利益と、漁業や海運、水難除けなどの水に関するご利益があるとされていて、横須賀では諏訪神社の境内社が唯一の水天宮です。