横須賀・佐原の御霊神社は、平安時代後期に活躍した武将・鎌倉権五郎景政を祀る、旧佐原村の鎮守です。
鎌倉権五郎景政は16歳の時、源義家に従って後三年の役に従軍した際に、左目を射抜かれながらも敵を倒したという武勇がよく知られています。
御霊神社の創建は、その後三年の役に従った者、あるいは、三浦一族で佐原城主の佐原十郎義連が、鎌倉権五郎景政の誠忠を称し、子孫に伝えるために祀ったと伝えられています。
主祭神 | 鎌倉権五郎景政 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 1151年(仁平元年) |
祭礼 | 1月1日 元旦祭 2月11日 初午祭 3月20日 祈年祭 7月28日に近い土曜・日曜 例大祭 11月23日 新嘗祭 ※実際の日にちは異なる場合があります |
なぜ、鎌倉権五郎景政を祀る神社を「御霊神社」と呼ぶのかと言うことに関してははっきりとしていませんが、「五郎」が転じて「御霊」になったとか、英雄視された人物の「御霊(みたま)」を祀ったからなどの説があります。三浦半島には三浦一族の繁栄を語るうえでは欠かせない三浦義明を祀る「御霊神社」もあることから、少なからず後者の意味が含まれているものと考えられます。
INDEX
鎌倉権五郎景政と佐原氏の祖先・三浦為継の逸話
奥州の豪族・清原氏の内紛に際して陸奥守に就任した河内源氏第3代棟梁・源義家(源頼朝の4代前)が介入して争われた後三年の役では、源義家の軍勢として東国の武士が多く動員されました。後三年の役は源義家の軍勢の勝利に終わりますが、朝廷からは義家の私戦とみなされたため、朝廷から義家に対しては恩賞が与えられませんでした。しかし、源義家に従軍した武士には、義家の私財から恩賞が与えられたため、東国武士からの信頼は増し、その後の源氏による東国基盤確立のきっかけになったと言われています。
ともに平忠通(村岡忠通)を祖先に持つ三浦氏と鎌倉氏も源義家に従い、後三年の役に従軍しました。
鎌倉権五郎景政は、敵方の鳥海弥三郎が放った矢に左目を射られたものの、矢が刺さったまま鳥海弥三郎を追い、射ち落したと言う逸話から、勇猛な武士として語り継がれています。
このとき、同じ源義家の軍勢として参戦していた三浦氏第2代当主・三浦為継は、鎌倉権五郎景政の左目に刺さった矢を顔に足をかけて抜こうとしましたが、弓矢に当たって死ぬのは武士の本望だが、土足で顔を踏まれるのは侮辱だと逆上され、為継は膝をかがめて矢を抜いたと言います。
このようなエピソードが三浦為継の子孫にあたる佐原十郎義連(義連は三浦為継の孫である三浦大介義明の子)にも伝わっていて、武士の鑑として鎌倉権五郎景政を崇めていたのでしょう。
平成初期に建て替えられた社殿と旧社殿の遺構
現在の御霊神社の社殿は、平成初期の1990年に建て替えられたものです。社殿の中には、鎌倉権五郎景政と佐原十郎義連の木像が安置されています。
旧社殿は江戸時代後期の1838年(天保9年)に建てられたと言い、本殿の鬼瓦や拝殿の飾り瓦が、現在も境内で大切に保存されています。
その他、境内には、旧石灯籠の台座や旧鳥居の支柱の一部なども残されています。一見すると放置されているように感じてしまうかもしれませんが、このようなものには、建立された年月日や寄進した人の名前などが刻まれていることが多く、その神社の歴史を知るうえでの貴重な遺産でもあります。
農耕地だった面影を伝える旧佐原村の合祀された神社
1873年(明治6年)に佐原村の村社に列せられた御霊神社には、村内各地に祀られていた、以下の神社が合祀されています。社殿の裏手には、これらの合祀された神社が祀られた石祠が残されています。
神社名 | 主祭神 | 創建年 |
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佐原谷神明社 | 天照大神 | 1064年(康平7年) |
茅山稲荷社 | 倉稲魂命 | 1607年(慶長12年) |
太郎崎稲荷社 | 倉稲魂命 | 1691年(元禄4年) |
小矢ヶ谷稲荷社 | 倉稲魂命 | 1532年(天文元年) |
用崎稲荷社 | 倉稲魂命 | 1584年(天正12年) |
内田稲荷社 | 倉稲魂命 | 1582年(天正10年) |
長畑牛頭社 | 倉稲魂命 | 1573年(天正元年) |
山王前山王社 | 大山咋神 | 1392年(明徳3年) |
平作川流域に平地が広がる佐原村だけに、五穀豊穣の神様とされる倉稲魂命を祀る稲荷社が多いのが特徴です。平作川下流に内川新田が開拓されたのは江戸時代に入ってからですが、平作川中流域にあたる佐原村ではそれ以前から農耕が盛んに行われていたことがうかがい知れます。
三浦半島エリアの「御霊神社」
「御霊神社」という名前の神社は、全国的にはメジャーな社名ではありませんが、鎌倉権五郎景政とゆかりの深い鎌倉や三浦半島周辺地域には多く分布しています。
神社名 | 主祭神 | 創建年 | 創健者 | 鎮座地 |
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御霊神社(権五郎神社) | 鎌倉権五郎景政 | 不詳(平安時代後期) | ― | 鎌倉市坂ノ下 |
五霊神社 | 天手力男命 | 不詳(源義朝の東国下向時の、1100年代中盤) | ― | 逗子市沼間 |
御霊神社 | 大己貴命 御霊命 (鎌倉権五郎景政) | 1177年~1181年(治承年間) | 長江太郎義景 (鎌倉権五郎景政の孫) | 葉山町長柄 |
御霊神社 | 三浦義明 | 1212年(建暦2年) | 和田義盛 (三浦義明の孫) | 横須賀市大矢部 (満昌寺境内) |
御霊神社 | 三浦義明 | 1194年(建久5年) | ― | 横須賀市衣笠町 (衣笠城跡、旧蔵王権現社) |
御霊神社 | 鎌倉権五郎景政 | 1151年(仁平元年) | 一説には、佐原十郎義連 (三浦義明の子 | 横須賀市佐原 |
御霊神社 | 鎌倉権五郎景政 | ― | ― | 三浦市三崎 (海南神社境内) |