三ヶ下海岸は、葉山の一色海岸の北側にある小さな海岸です。バス通り(県道207号)のすぐ下まで海岸線が迫っています。
北側には、埋立でできた芝崎の造成地が相模湾に突き出ています。三ヶ下海岸は、その先端にある芝崎海岸と似たような岩礁地帯ですが、干潮時でもひざ下まで濡れても良い装備が必要な芝崎海岸よりは、気軽に遊べる海岸です。
2024年海水浴場 | × 三ヶ下海岸は海水浴場ではありません |
2024年海の家開設 | × |
公衆トイレ | ○(最寄りの公衆トイレは、徒歩5分ほどの場所の芝崎バス停にあり) |
駐車場 | ○ 三ヶ岡駐車場 |
三ヶ下海岸の周辺
芝崎海岸 一色海岸 神奈川県立近代美術館 葉山 葉山しおさい公園
INDEX
磯遊びが楽しめる小ぢんまりとした海岸
三ヶ下海岸はほとんど岩場からなる海岸で、わずかな砂浜も、満潮時にはほとんど海面の下に隠れてしまいます。
砂浜の海岸をたのしみたい場合は、素直に一色海岸に向かう方が良いでしょう。小ぢんまりとした岩場で磯遊びやシュノーケリングをたのしみたい場合は、三ヶ下海岸も良いでしょう。
源頼朝も訪れた「佐賀岡」の浜
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」によれば、源頼朝が御家人の三浦氏らとともに「佐賀岡」の浜を訪れたという記載があります。この「佐賀岡」とは「三ヶ岡」のことだと考えられます。
「三ヶ岡」は、三ヶ下海岸や一色海岸のあるあたりの古い地名で、明治時代に「三ヶ岡」を含む一色村が葉山村に統合されるまではこのあたりの大字でした。三ヶ下海岸の背後にそびえる、現在のはやま三ヶ岡山緑地の三峰、「西峰(真名瀬山)」、「三ヶ岡(大峰山)」、「東峰(一色浅間山)」から付けられたと考えられますが、「佐賀岡」より「三ヶ岡」のほうが元からある名前のようにも思えるので、おもしろいです。
「三ヶ岡」は、現在の一色海岸の一部を含む地名でしたので、頼朝が訪れたのは小さな三ヶ下海岸といよりは一色海岸のほうだったのでしょうけれど、頼朝は森戸大明神(森戸神社)を創建したり「佐賀岡(三ヶ岡)」や「杜戸(森戸)」の浜を訪れたり、鎌倉時代から葉山は首都(鎌倉)圏のリゾート地だったことがうかがえます。
三ヶ下海岸周辺の見どころ
北側の真名瀬海岸・森戸海岸方面
南側の葉山しおさい公園・一色海岸方面
内陸のはやま三ヶ岡山緑地方面
以下のリンク先から他の【ビーチ】もご覧ください!!