宗円寺は、横須賀・久比里坂のふもとにある、浄土宗の寺院です。戦国時代(室町時代後期)の1528年(享禄元年)、久比里の村民・臼井惣左衛門(臼井宗左衛門)が、自らが帰依していた天達義順(鎌倉・光明寺15世の督蓮社法誉)を開山に迎え、隣接する若宮権現社(現在の若宮神社)の地にあった慶西庵という真言宗の寺院を移して開いたといいます。
臼井惣左衛門は、平安時代後期から鎌倉時代初期に活躍した武将・千葉常胤の子孫とされる人物で、鎌倉・大町から久比里に移り住んだと伝えられています。1531年(享禄4年)には、慶西庵の跡地に、鎌倉・鶴岡若宮明神の分霊を勧請して、若宮権現社を創建しています。
| 山号 | 真宝山 |
| 宗派 | 宗円寺 |
| 寺格 | ― |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建 | 1528年(享禄元年) |
| 開山 | 督蓮社法誉(天達義順) |
| 開基 | 満誉宗円(臼井惣左衛門) |
宗円寺がある久比里の最寄り駅は、京急久里浜駅またはJR久里浜駅です。今でこそ久里浜エリア(久里浜行政センター管内)ですが、横須賀市編入前までは浦賀町(江戸時代後期は西浦賀分郷)に属していました。そのため、歴史的に浦賀エリアとの結びつきが強く、宗円寺の墓地にも、江戸時代に廻船問屋として栄えた浦賀の豪商、大黒屋の臼井儀兵衛の墓などがあります。
失明した鎌倉権五郎景政が彫ったと伝わる両面地蔵

宗円寺の本堂前には、とてもユニークな、両面に仏像が彫られた丸形の石が10体並ぶ、両面地蔵が安置されています。
1987年(昭和62年)に久里浜地域文化振興懇話会によって発行された「久里浜の記念碑と野仏」によれば、この両面地蔵には、平安時代後期に活躍した武将・鎌倉権五郎景政によって彫られたという伝説があります。
後三年の役に従軍した鎌倉権五郎景政は、敵将・鳥海弥三郎に左目を射抜かれてしまいます。阿部倉の湯に湯治に訪れたものの失明してしまい、世の盲人を救うためと己が来世の光明をも願って一念発起し、手探りで彫り上げたのがこの両面地蔵だと言います。
宗円寺を開いた臼井惣左衛門の祖先・千葉氏と、鎌倉権五郎景政の鎌倉氏は、ともに桓武平氏良文流の流れをくむ親せきにあたります(三浦半島を拠点に栄えた三浦一族も同様)。
三浦半島には、このような、鎌倉権五郎景政の武勇をもとにした伝説が数多く存在しています。その代表とも言えるのが鎌倉・坂ノ下の御霊神社(権五郎神社)で、眼病平癒のご利益がある、目の神様として親しまれています。久里浜エリアでは、佐原の御霊神社の主祭神として、鎌倉権五郎景政が祀られています。




その他の宗円寺境内の見どころ
延命地蔵像と六地蔵

六地蔵の真ん中に延命地蔵像が安置されています。
庚申塔群

飾り瓦の遺構

宗円寺周辺の見どころ






