砲台山は武山と三浦富士の間にある標高204mの武山ハイキングコース最高峰の山で、本来の名称は「大塚山」と言います。「砲台山」と呼ばれるようになった由来は、かつてこの山の山頂に旧日本海軍の武山防空砲台(武山高角砲台)が置かれていたためです。現在も山頂には砲台の遺構が残されていて、その隣りには海上保安庁の武山受信所が建っています。
砲台山へは、三浦富士や武山とを縦走するハイキングコースの他、通信研究所(NTT横須賀研究開発センタ。通称:通研)のそばからも登ることができます。
砲台山の山頂には、旧日本海軍の武山防空砲台跡が良好な状態で残っています。周辺には関連施設の遺構も多く残されています。ところどころで戦争遺跡がみられるのも、三浦半島の低山ハイクならではです。
一方で、砲台山山頂は、武山ハイキングコースの縦走ルートから外れた行き止まりの盲腸線のため、このような戦争遺跡にまったく興味がないという場合は、山頂への登頂はスルーして、他のことに時間と体力を使うという選択肢を考えても良いでしょう。
INDEX
山頂に残る武山防空砲台の砲座跡

いわゆる東京湾要塞の代表的な施設である観音崎砲台や猿島砲台の多くが明治期に建設されたのに対して、砲台山の武山防空砲台(武山高角砲台)は昭和初期に建設されました。東京湾要塞の多くが海の近くに建設されて船舶での東京湾への侵入に備えていたのに対して、海から離れた高台に造られた武山防空砲台は、その名称からも分かるように第二次世界大戦で攻撃の主力となった航空機への対策として使われました。


ハイキングコース沿いに露出している砲座跡の保存状態は良好で、階段で下まで降りて観察することができます。
レンガ造ではなくコンクリート造のため、どうしても、歴史の重みは感じにくいかもしれません。しかし、それがゆえに、保全される機運が乏しかったためか、三浦半島のコンクリート造の砲座跡で原型を留めているものはそれほど多くありません。
小坪高角砲台跡(披露山公園) | サル舎などの別の施設の建造物の土台として再利用されている。 |
城ヶ島砲塔砲台跡(県立城ヶ島公園) | 花壇に使われるなど、砲座跡としての面影は少ない。 |
剣崎砲台跡 | 農地の一部として、畑に埋もれるようにして残っている。 |
なお、三浦半島では、米ヶ濱砲台(米ヶ浜砲台)が置かれた、現在は平和中央公園(横須賀市)が整備されている山も砲台山と呼ばれていました。
横須賀軍港があり、東京湾防衛の位置づけもあった三浦半島には、戦後までに数十か所の砲台が建設されました。とくに昭和期には、その多くが山の頂上などの高台に設置されたため、半島内のあちこちで、地元では通称「砲台山」と呼ばれていた山があったと考えられます。

砲台の関連施設の遺構も点在

砲台山の山頂近くには、砲座跡以外にも、砲台の関連施設の跡と思われる遺構がたくさん残っています。当時の建物は残っていませんが、大きな建造物を支えていたと思われる二本の支柱などが原型をとどめています。しかし、劣化が進んでいますので、そう遠くないうちに見られなくなるかもしれません。
砲台山の山頂まで、砲台の建設や物資搬入のために、車が走行可能な道が整備されたのも、戦争の遺構であると言えます。
このような環境にあった砲台山は、戦後も米軍や海上保安庁によって利用されていくことになります。


格好の目印になる山頂の海上保安庁武山受信所

第二次世界大戦後、砲台山は米軍に接収されていた時期を経て、現在は、砲台が置かれていた山頂は海上保安庁武山受信所として使われています。
海上保安庁武山受信所の大きなアンテナは、武山の山頂に建っているアンテナとともに、低山のため見分けがつきにくいこのあたりの山々の良い目印になっています。
海上保安庁武山受信所の前は広場になっていますが、ベンチやトイレなどはなく、眺望もありません。このあたりのハイキングコースで、砲台跡の見学以外の目的で休憩をとる場合は、ここより三浦富士側にある見晴台か、武山の頂上が良いでしょう。

バリエーション豊かな 三浦富士~砲台山~武山ハイキングコース
三浦富士~砲台山~武山は三浦丘陵の南の代表的な山々で、通称「三浦三山」などと呼ばれています。いずれも標高200m前後の低山ながら、山頂に浅間神社奥宮が鎮座する富士信仰の山、旧日本海軍の防空砲台(高角砲台)跡の戦争遺跡が残る山、山頂の武山不動院とつつじが名所となっている山と、それぞれまったく違った個性を持つバリエーション豊かなハイキングコースです。
また、東京湾側(房総半島方面)と相模湾側(富士山方面)の両方の景色をたのしめるのも特徴です。




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