本町延命地蔵尊は、ドブ板通りの京急線汐入駅寄りの道端に安置されているお地蔵様です。店舗と店舗の間に挟まれた非常に狭い敷地に、商店街に溶け込むようにありますので、気づかないで通り過ぎてしまう方も多いかもしれません。よく見ると異質な空間ですが、意外と馴染んでいるから不思議です。
そのように、ひっそりと、ドブ板通りを行き交う人たちを見守り続けてきたのでしょう。
本町延命地蔵尊の由緒については諸説ありますが、おそらく、周辺に安置されていたお地蔵様をこの地に集めて祀られたため、さまざまな伝承が混ざり、今のいたるのでしょう。
ここでは、本町延命地蔵尊のお堂の前に掲げられている案内板に書かれた内容をもとに、二点紹介します。
INDEX
延命山西往寺の本尊・地蔵菩薩に由来
延命山西往寺は、明治期まで横須賀造船所(かつての横須賀製鉄所。後の横須賀海軍工廠)の表門付近にありましたが、旧日本海軍用地となり廃寺になった寺院です。現在も、ドブ板通りの、本町延命地蔵尊とは反対側(横須賀中央駅寄り)の入口近くに建つ、良長院の末寺でした。
この延命山西往寺の本尊が、地蔵菩薩でした。廃寺後の地蔵菩薩の行方については、良長院の閻魔堂に移されたという話もあるなど定かではありませんが、「延命地蔵」と名づけられているように、本町延命地蔵尊として祀られるようになったということも考えられそうです。
汐留と下町を結ぶトンネル近くで祀られていた洞ノ口地蔵に由来
現在、いわゆる「横須賀中央」と呼ばれている、横須賀の下町エリア(若松町・大滝町・米が浜通)のほとんどは、幕末以降、とくに明治期から昭和初期にかけて、埋め立てによりできたまちです。それまで、汐留町(現在の汐入駅周辺)方面と下町方面を行き来するためには、狭い、海沿いの道を通るか、江戸時代からある山越えの浦賀道を通るしかありませんでした。
そのため、汐留と下町を結ぶ素掘りのトンネルが掘られましたが、崩落事故によるけが人も少なくなかったようです。そこで、現在の汐入小学校近くの汐留町側のトンネル入口付近に、通行の安全を祈念するためにお地蔵様が祀られるようになったと言います。
この、「洞ノ口地蔵」や「汐留地蔵」などと呼ばれていたお地蔵様が、1923年(大正12年)に発生した関東大震災以後に現在の場所に移されたと言います。
「横須賀市震災誌」によると、関東大震災では山がちな汐留町周辺でも崖崩れが多く発生し、とくに、横須賀駅から現在の港町公園辺りにかけては横須賀市内で最大級の崖崩れが発生した場所として記録されています。
このような状況で、素掘りのトンネルも廃道となり、お地蔵様も現在地に移されたと考えられます。
本町延命地蔵尊のお堂の前にも、関東大震災殉難者霊の碑が建てられています。