池子の森自然公園は池子住宅地区及び海軍補助施設(池子米軍家族住宅地区)内にある公園です。
公園は大きくスポーツエリアと緑地エリアに分かれていて、それぞれ、2015年と2016年から利用が開始されました。
公園中央に位置するトンネルより池子入口側(京急神武寺駅方面)がスポーツエリアで、野球場やテニスコート、400mトラックなどがあります。
そのトンネルの反対側が緑地エリアで、池や芝生広場などがあります。
スポーツエリアと緑地エリアで休園日が異なっていて、スポーツエリアは月曜日が、緑地エリアは水曜日を除く平日が、休園日になっています。
池子の森は、かつて旧日本海軍が弾薬庫として使用していた土地で、第二次世界大戦後は米軍に接収されて、引きつづき弾薬庫として使用されていました。
弾薬庫として使用されなくなった後は、米軍家族の住宅地として利用され、現在もその大部分は日本側に返還されていません。
この土地のうち約40haに、米軍から逗子市への返還を前提とした共同使用という名目で公園として整備したのが、池子の森自然公園です。
池子の森自然公園は複雑な経緯を持つ公園のため、一般的な日本の公園とは雰囲気が異なる面もありますが、自然公園としての常識的なルールはあるものの、特別な制約があるわけではありません。
周辺の森は、もともと住んでいた住民から旧日本海軍が接収して以来約70年以上に渡って人の立ち入りが制限されてきたため、豊かな自然が残っていることが大きな特徴です。
INDEX
施設が充実している スポーツエリア
池子入口側(京急神武寺駅方面)から入ってすぐ、左側に広がるのが、スポーツエリアです。
公園名を示すサインよりも米海軍の施設であることを示すサインのほうが大きく、目立ちますが、入園可能日時であれば公園へは自由に入ることができます。
車は池子入口側からスポーツエリア内の道路まで通行可能で、駐車場もスポーツエリア内に設置されています。
池子入口側から入ってすぐ右側は池子米軍家族住宅地区のゲートになっていて、立ち入ることはできません。(米軍施設の撮影も禁止されています)
有料運動施設(400メートルトラック、テニスコート、野球場大、野球場小)は事前予約制です。利用登録をすれば逗子市在住・在勤・在学以外の方でも利用できますが、利用料金が異なります。
池子入口から南に300mほどの場所にも、野球場やテニスコートなどの有料運動施設を備える第一運動公園があります。
第一運動公園は、1972年(昭和47年)にアメリカから返還された池子弾薬庫・管理事務所地区の跡地に開園した公園です。
貴重な自然が残る 緑地エリア
池子入口側(京急神武寺駅方面)から入って、スポーツエリアをいちばん奥まで進むとトンネルがあります。このトンネルの先が緑地エリアで、ここから先はスポーツエリアと開放日が異なります。
トンネルを抜けてしばらく進むと、広い芝生広場があります。
緑地エリアは山々に囲まれていて、水辺もある場所のため、カワセミやオオルリ、ウグイスなど、さまざまな野鳥を観察できます。自然を保全しているため、周辺の山に立ち入ることは制限されていますので、双眼鏡や望遠レンズの付いたカメラを持って行くとたのしめると思います。
さらに奥へと進むと池が現われます。こちらも水環境を保全しているため、観察はまわりからのみ可能です。
池からは小川も流れていて、初夏にはホタルの観察会が開かれるなど、ゲンジボタルとヘイケボタルが両方観られる、三浦半島でも貴重な場所となっています。
三浦半島でもっともレアなお花見スポットの一つ
緑地エリアでは、春になると、数か所で桜が花を咲かせます。広い芝生広場でのんびり過ごせるため、とてもオススメなのですが、米軍関係者以外向けの開放日が限られていることもあり、桜の開花のピークを見られるのは他のお花見スポットより少ないことが残念なところです。
池子の森自然公園・緑地エリアは、三浦半島でもっともレアなお花見スポットの一つと言えます。
池子入口付近(京急神武寺駅方面)の桜は、緑地エリアの開放日に関わらず見ることができます。京急逗子線からも見えるこれらの桜をバロメーターにしつつ、緑地エリアの桜のピークを狙ってお花見に訪れると良いでしょう。
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木立に囲まれた 隠れ家的空間
池子の森自然公園の緑地エリアは、キレイに整備された公園というよりは、自然の地形や植生を活かした場所になっています。
広い芝生広場からは、よく観察していないと気づかないで通り過ぎてしまいますが、山に向かって小径が延びている箇所があります。この小径からは、周囲の山沿いにある小さな谷戸に入れるようになっています。
小径を奥まで進むと、木立に囲まれた広場になっていて、よりプライベートな空間としてたのしめるようになっています。ピクニックやデイキャンプにはうってつけの場所です。
よく観光地にあるような造られた居心地の良い空間ではなく、野趣あふれる森林の中にいる感覚を味わえます。
弾薬庫時代の名残りである 廃線跡
池子の森自然公園の緑地エリアには、よく地面を観察すると、線路の跡が残っている場所がいくつか存在します。芝生広場の池沿いで見られる他、小さな谷戸に延びている小径でも見られます。
これらは、ここが弾薬庫として使われていた時代の名残りで、かつては国鉄逗子駅(現JR逗子駅)付近から分岐して、池子の森まで引き込み線が引かれていました。
現在この引き込み線の一部は、総合車両製作所専用線として、総合車両製作所横浜事業所で製造された鉄道車両の輸送に使用されています。
総合車両製作所横浜事業所は、京急の金沢八景駅と金沢文庫駅の間にある、主に鉄道車両を製造する工場です。かつては東急系列の会社でしたが、現在はJR東日本系列です。
全国のJRや私鉄各線の車両を製造しているため、輸送する際の多くは、池子の森の引き込み線だった路線を経由して、JRの路線網を使用して運ばれます。
その際、京急逗子線も通るのですが、京急線は線路の幅が新幹線などと同じ1435mmの標準軌で、JRの在来線は1067mmの狭軌と、線路の幅が違うため、線路が3本敷かれている特殊な区間となっています。
長い長い歴史の痕跡が良好に残された 池子遺跡群
池子の森に米軍家族住宅の計画が立てられた際、神奈川県埋蔵文化財センターと財団法人かながわ考古学財団によって、地中に眠る文化財の発掘調査が行われました。
この発掘調査では、池子の森周辺の、弥生時代から昭和前期に旧日本海軍が接収を開始する直前までの、数多くの生活の痕跡が見つかりました。
これらの池子遺跡群の発掘調査の成果は、池子の森自然公園のスポーツエリアにある池子遺跡群資料館で見ることができます。
また、約300万年前にこのあたりが深海だった際の地層から見つかったシロウリガイの化石が、テニスコートの近くで屋外展示されています。
緑地エリアの斜面には、中世の供養の場であるやぐらが点在しているのを見ることができます。13世紀後半~16世紀ごろのものとみられています。
通常やぐらは、寺院やその関連施設の近くに見られるものですが、池子の森ではその痕跡がない、めずらしいものだとされています。
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米軍接収の歴史を物語る 異国の痕跡
池子の森自然公園の設置物やサインにはアメリカの規格のものが多く見られ、長きに渡って米軍に接収されてきた敷地(正確には過去形ではなく、現在進行形ですが)にあることを実感します。
池子の森と聞いて何をどのように思うか、思わないかは、世代や暮らしてきた地域によって大きく異なるでしょう。
米軍基地と隣り合わせで暮らしてきた人にとっては、常に戦後日本の影の部分を象徴するような場所と言っても良いかもしれません。
米軍基地も住宅地などのその関連施設も、無条件に返還されるのがいちばんよろこばしいことなのかもしれませんが、今日の世界情勢を見ればそれが難しいことは目に見えています。
前向きに捉えるならば、米軍に接収された場所には開発されずに放置されていたことによって貴重な自然や歴史的遺産が残されている場所が多くあるため、そのような場所から徐々に共有されていくようになることが、現時点の一つの解決策なのかもしれません。
ゆっくりと、時間がかかりましたが、池子の森自然公園が基地問題の良い前例になっていけば良いと思います。
米海軍専用の改札がある 神武寺駅
京急逗子線神武寺駅の北側は池子住宅地区及び海軍補助施設(池子米軍家族住宅地区)に面しているため、この地区の利用者のための専用の改札口があります。
池子の森自然公園の入口ではありませんので、ご注意ください。