城ヶ島海南神社は、元亀年間(1570年~1573年)に三崎の海南神社から分霊を勧請して創建したのがはじまりと伝えられています。はじめは城ヶ島北岸の遊ヶ崎に鎮座していましたが、暴風により破損したため、1878年(明治11年)に現在の三崎を一望できる高台に社殿を遷したと言われています。
城ヶ島海南神社の御祭神には、三崎の海南神社と同じ藤原資盈が祀られている他、相殿として源頼朝と楫三郎も祀られています。
主祭神 | 藤原資盈 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 元亀年間(1570年~1573年) |
祭礼 | 7月17日 例祭 ※実際の日にちは異なる場合があります |
三崎の海南神社と向かい合うように鎮座する城ヶ島海南神社
三崎の海南神社の分霊が勧請された遊ヶ崎
城ヶ島海南神社の創建以前は、城ヶ島の村人は毎月3日に三崎の海南神社に参拝していたと言います。城ヶ島島内に分霊を勧請した理由は、暴風で渡航が難しいことも多かったためです。
はじめに創建された遊ヶ崎は、城ヶ島の北岸に位置する岬で、対岸には三崎のまちを望むことができます。遊ヶ崎と三崎港の間には、渡船の定期航路が開設されています。
三崎港周辺を望む現在の城ヶ島海南神社境内
高台に遷宮された地も、鳥居から石段を登りきった先にて、三崎の海南神社が鎮座する三崎港周辺を望むことができます。
城ヶ島の地形は、島全体が台地状になっていて、その裏表(南北)で異なった表情を見せてくれます。島の南岸は、海からすぐ断崖絶壁の海食崖が切り立つ、自然の荒々しさを見せつけられる景観が特徴です。一方、城ヶ島海南神社の座する島の北岸は、埋め立てや開発の影響もあり、地方の港町によく見られる町なみが続いています。
城ヶ島海南神社は、そんな港町の集落の、もっとも奥まった場所に鎮座して、島の人々を見守っています。
神輿の海上渡御で唄われていた「御船唄」
かつて、三崎の祭礼に城ヶ島海南神社からも御座船を出して、「御船唄」を唄いながら、神輿の海上渡御が行われていました。この「御船唄」は保存会によって唄い継がれていて、城ヶ島海南神社の祭礼などで奉納されます。
また、城ヶ島海南神社の例祭は、5年に一度、例大祭として執り行われていて、このときに、島内をまわる神輿渡御も行われています。
城ヶ島の他の見どころ
城ヶ島海南神社のすぐ近くの村落最奥には、城ヶ島唯一の寺院・常光寺があります。