妙本寺は、源頼朝に仕えた鎌倉幕府の有力御家人・比企能員の屋敷跡に日蓮が開山となって創建された、日蓮宗最古の寺院の一つです。
日蓮は比企氏の屋敷があった比企谷からほど近い松葉ヶ谷に草庵を構えて、小町大路などで辻説法を行いながら布教していたとされています。比企能員の末子・能本が、自身の屋敷を日蓮に献上して、比企能員の変(比企能員の乱)で滅亡した一族の菩提を弔うための寺院を開いたのが、妙本寺のはじまりです。
妙本寺の境内では梅や桜、カイドウ(海棠)、紅葉などで、四季の移ろいをたのしむことができます。
山号 | 長興山 |
宗派 | 日蓮宗 |
寺格 | 霊跡本山 |
本尊 | 三宝尊 |
創建 | 1260年(文応元年) |
開山 | 日蓮 |
開基 | 比企能本 |
妙本寺を総門から入り、参道の杉並木を抜けて石段を登った先に現われる二天門は、1840年(天保11年)に建立されたものです。朱塗りの堂々とした門の中央には、二体の龍の彫刻が極彩色で施されていて、見ごたえがあります。
二天門をくぐって正面に見える祖師堂は、鎌倉最大級の木造仏堂建築です。
INDEX
北条氏との権力闘争に敗れて滅亡した比企一族
源頼朝の乳母であった比企尼の猶子(養子)となった比企能員は、その縁から妻とともに頼朝の嫡男(頼朝の子としては次男)・源頼家の乳母父になりました。さらに、能員の娘・若狭局が頼家の側室となって嫡男・一幡を産んだことで、頼朝の最有力の側近の一人になりました。
1199年(正治元年)に頼朝が死去すると、比企能員は鎌倉幕府第2代将軍・頼家を支える「十三人の合議制」の一人になりました。
1203年(建仁3年)、源頼家が病に倒れると、次期将軍(鎌倉殿)の座をめぐって、頼家の子・一幡を推していた頼家の外戚である比企能員と頼家の弟・実朝を推していた頼朝の舅である北条時政との間で対立するようになります。ほどなくして、時政の謀略によって能員は殺害され、一幡の屋敷にたてこもって抵抗した比企一族も北条義時らの軍勢に敗れて自害し、一族は滅亡しました。
この比企能員の変では、能員の末子である能本は生き残り、後に出家して京都で順徳天皇に仕えました。能員の姪にあたる竹御所(源頼家の娘、源媄子)が鎌倉幕府第4代将軍・藤原頼経の正室になると、鎌倉に戻ることを許されて、一族の菩提を弔うために自身の屋敷跡に日蓮を開山に迎えて妙本寺を建立しました。
妙本寺の境内には、比企能員とその一族の墓(比企一族の供養塔)や屋敷の焼け跡に残った一幡の小袖を供養する一幡之君袖塚、竹御所の墓など、比企一族にまつわるスポットも点在しています。
初春の妙本寺のロウバイ&梅
妙本寺の広い境内にはロウバイや梅の木が多く植えられています。例年、1月からロウバイが咲きはじめ、紅梅、白梅と、3月にかけて初春の花をたのしめます。
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春の妙本寺のカイドウと桜
春の妙本寺境内では、カイドウ(海棠)と桜がその美しさを競い合います。とくに、祖師堂に向かって左手に立つカイドウの大木と桜の木々は、開花時期が重なると圧巻です。
桜の季節は鎌倉観光で混雑するシーズンの一つですが、妙本寺は他の桜の名所に比べて落ちついて見学できる穴場的な場所でもあります。
カイドウ(桜)
妙本寺のカイドウは、光則寺のものと並んで、鎌倉を代表する大木として知れています。鎌倉三大カイドウの一つともされています。
桜
妙本寺の桜の見ごろは、周辺のソメイヨシノの開花より若干早めになることが多いです。
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晩秋の妙本寺の紅葉
晩秋の妙本寺は、境内のいろいろな場所で紅葉や黄葉をたのしめます。有名なのは二天門の前のモミジですが、祖師堂の周辺の紅葉も素晴らしいです。イチョウの黄葉は、一幡之君袖塚の背後や蛇苦止堂に大木があり、見事です。
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妙本寺境内の見どころ
総門
二天門
祖師堂
祖師堂は、日蓮宗の開祖である日蓮(祖師)を祀っているお堂です。
日蓮聖人銅像
妙本寺の日蓮聖人銅像は、日蓮聖人立教開宗750年と鎌倉布教750年を記念して、2002年に建てられたものです。