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八雲神社(山ノ内)| 鎌倉市最古かつ最大の庚申塔や安倍晴明石の鎮座する北鎌倉の鎮守

八雲神社(山ノ内)(撮影日:2024.03.18) 鎌倉
八雲神社(山ノ内)(撮影日:2024.03.18)

円覚寺の大船寄りに鎮座する八雲神社やくもじんじゃは、山ノ内全域の鎮守です。
境内には、鎌倉市最古かつ最大の庚申塔とされる江戸時代前期・寛文五年銘の庚申塔や、火難除けの石として安倍晴明(あべ の せいめい/はるあきら)の伝説が残る晴明石などが祀られています。

八雲神社は北鎌倉駅のすぐ側の山すそに鎮座していますが、北鎌倉駅の改札口は八雲神社とは反対側のホームの一番逗子寄りにあるため、アクセスの仕方は注意が必要です。2024年7月現在は、北鎌倉隧道の安全対策工事のために設けられた下りホームの臨時改札口を利用すると近いです。

主祭神素盞嗚命
旧社格等村社
創建文明年間(1469年~1487年)
祭礼2月20日に近い日曜日 祈年祭
7月15日に近い日曜日 例大祭
12月第1日曜日 新嘗祭
※実際の日にちは年によって異なる場合があります

さまざまな面をかぶった面掛衆が練り歩く「面掛行列めんかけぎょうれつ」と言えば、もとは鶴岡八幡宮の行事で現在は坂ノ下御霊神社(権五郎神社)で執り行われているものが有名ですが、山ノ内八雲神社にも伝えられています。(面掛行列面と衣装は、鎌倉市の有形民俗文化財に指定)
八雲神社面掛行列は、60年に一度開催される円覚寺洪鐘弁天大祭でも披露されています。

八雲神社(山ノ内)・境内より北鎌倉駅方面を見下ろす(撮影日:2024.03.18)
八雲神社(山ノ内)・境内より北鎌倉駅方面を見下ろす(撮影日:2024.03.18)
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「禅宗のまち」北鎌倉・山ノ内の鎮守

八雲神社(山ノ内)・境内を見下ろす(撮影日:2024.03.18)
八雲神社(山ノ内)・境内を見下ろす(撮影日:2024.03.18)

八雲神社は、戦国時代に活躍した武将で山内上杉家13代当主の上杉憲房が、京都の八坂神社を勧請して創建したと伝えられています。明治初期までは、牛頭天王社と呼ばれていました。

駅名をとって「北鎌倉」と呼ばれることが多い山ノ内は、円覚寺建長寺東慶寺浄智寺明月院など、大寺院や有名なお寺が数多くありますが、山ノ内の鎮守である八雲神社を含め、観光客が訪れるような神社はありません。鶴岡八幡宮がまちの中心に鎮座する鎌倉の中心地とは対照的と言えます。

山ノ内が本格的に開発されるようになったのは、源氏の将軍が三代で滅び、執権北条氏の時代になった鎌倉時代中期以降のことで、円覚寺建長寺などもそのころに建立された寺院です。
いわゆる鎌倉仏教の一つである禅宗がもっとも栄えた時期に開かれた土地なだけに、神社の影が薄いのは仕方ないのかもしれません。

例年7月に執り行われている八雲神社例大祭神輿渡御では、円覚寺建長寺東慶寺浄智寺明月院をめぐり、各寺院の前では僧侶がお迎えするという習慣があります。
禅宗のまちのような北鎌倉で、普段は控えめな八雲神社も、この日だけはまちの主役になります。

八雲神社(山ノ内)・社殿(撮影日:2024.03.18)
八雲神社(山ノ内)・社殿(撮影日:2024.03.18)
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山ノ内の谷戸を見渡す稲荷社

八雲神社(山ノ内)・山ノ内稲荷社(撮影日:2024.03.18)
八雲神社(山ノ内)・山ノ内稲荷社(撮影日:2024.03.18)

八雲神社社殿前の小高い丘の上には山ノ内稲荷社が鎮座しています。八雲神社と同様、山ノ内全域の稲荷社としてあつい信仰をあつめてきたものです。
現在の稲荷社社殿は、2018年に町内の民家の敷地内にあったものを遷座したものです。

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安倍晴明と鎌倉との関わりほのめかす晴明石

八雲神社(山ノ内)・安倍晴明石(撮影日:2024.03.18)
八雲神社(山ノ内)・安倍晴明石(撮影日:2024.03.18)

山ノ内稲荷社のすぐ側には安倍晴明安倍清明)の伝説が残る安倍晴明石が祀られています。山ノ内に大きな火事がないのはこの晴明石があるためという言い伝えがあり、江戸時代後期に編さんされた「新編相模国風土記稿」には火難除けの石として紹介されていて、災難除けの石として現在まで大切に祀られてきています。

安倍晴明は平安時代中期に活躍した陰陽師です。安倍晴明と鎌倉との関わりを示す史料はほとんど見られませんが、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」の治承四年(1180年)十月小九日の条に、知家事・兼道の山内宅が正暦年間(990年~995年)から火事に遭っていないのは晴明による鎮宅之符が押されているためであるという記録があり、山ノ内安倍晴明の伝説が残る地です。

この八雲神社安倍晴明石は、もとは近くの十王堂橋の近くの道路に埋められていたものを道路工事の際に移転して、境内に祀られるようになったものです。
山ノ内には、浄智寺近くの横須賀線の踏切近くにも安倍晴明石とされるものが鎮座しています。「新編相模国風土記稿」には、二つの晴明石はともに、かつては大船多聞院が管理していたと記録されています。

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鎌倉時代には鎌倉の北端だった八雲神社

八雲神社(山ノ内)・社殿前より境内を望む(撮影日:2024.03.18)
八雲神社(山ノ内)・社殿前より境内を望む(撮影日:2024.03.18)

吾妻鏡」によると、1224年(元仁元年)、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時は疫病を抑えるため陰陽権助に四角四境鬼気祭を執り行わさせています。このときの鎌倉の「四境」とは、東が六浦(現在の横浜市金沢区)、南は小坪(現在の逗子市)、西は稲村、北が山ノ内でした。
八雲神社山ノ内の祭場だったと伝えられていて、鎌倉時代前期にはこのあたりが鎌倉の北端だったことがうかがい知れます。

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鎌倉市最古かつ最大の寛文五年銘の庚申塔

八雲神社(山ノ内)・鎌倉市指定有形民俗資料-庚申塔(寛文五年銘)(撮影日:2024.03.18)
八雲神社(山ノ内)・鎌倉市指定有形民俗文化財資料-庚申塔(寛文五年銘)(撮影日:2024.03.18)

八雲神社境内の大船側の一角には所狭しと庚申塔が並んでいます。このうちの一つは江戸時代前期の寛文五年(1665年)という年号が刻まれていて、鎌倉市最古かつ最大の庚申塔とされています。

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八雲神社(山ノ内)周辺の見どころ

DATA

住所 鎌倉市山ノ内585
アクセス
行き方

JR横須賀線・湘南新宿ライン「北鎌倉駅」より徒歩約7分(下りホーム大船寄りの臨時改札口を利用し、好好洞経由の場合。この臨時改札口は、北鎌倉隧道の安全対策工事が終了すると撤去される予定です。逗子寄りの常設改札口利用の場合は、上りホーム改札口から県道で、経由プラス10分程度かかります。逗子寄りの常設改札口から下りホーム沿いには行くことができません)

駐車場 なし
料金

無料(志納)

電話番号 0467-22-3251 ※御霊神社(権五郎神社)(管理元神社)
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