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大船の切通し | 多聞院・熊野神社裏から六国見山方面に通じる古道

大船の切通し(撮影日:2024.06.14) 鎌倉
大船の切通し(撮影日:2024.06.14)

大船の切通しは、大船の多聞院熊野神社の裏から大船高校の裏に通じている切通しです。大船高校側からは、六国見山への登山口も近く、三浦丘陵の北端に位置しています。

大船の切通しがいつ頃整備されたのかは分かりませんが、中世の鎌倉市中の外にある切通しのため、いわゆる「鎌倉七口」には含まれておらず、注目度は高くない切通しです。しかし、「鎌倉七口」の中でも比較的保存状態が良いとされている朝夷奈切通名越切通大仏切通などと比較しても、古道の雰囲気を良く残している切通しと言えます。
江戸時代後期に編さんされた地誌「新編鎌倉志」や「新編相模国風土記稿」では、この大船の切通しに相当する記述や関連していそうな記述は見られないため、江戸時代後期以降、近世に生活路として開削された可能性もあります。

大船の切通し・多聞院側から大船高校方面を望む(撮影日:2021.12.10)
大船の切通し・多聞院側から大船高校方面を望む(撮影日:2021.12.10)
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大船の切通しの名称について

ここで紹介している大船の切通しは、Googleマップでは、長い間「高野の切通し」(2022年5月現在の情報。住所は、鎌倉市大船2033)として登録されていました。
一方で、鎌倉市が1999年に市民投票をもとに選定した「かまくら景観百選」の「高野の切通」(鎌倉市高野4-4地先)は、Googleマップ上の「高野の切通し」ではなく「長窪の切通し」(2022年5月現在の情報。住所は、鎌倉市高野4丁目5-1)として登録されていた場所に当たります。

そのため、当サイトでは、多くの方が参照するであろうGoogleマップ上の「長窪の切通し」はその名称を優先しつつ「高野の切通」も併記する形で「長窪の切通し(高野の切通)」として紹介し、Googleマップ上の「高野の切通し」は「かまくら景観百選」の選定結果とも異なることから、「大船の切通し」として紹介してきました。

しかし、2024年5月現在、Googleマップ上でも「長窪の切通し」が「高野の切通し」、「高野の切通し」が「大船の切通し」と登録名が変更されています。当サイトでも「長窪の切通し(高野の切通し)」の名称を「高野の切通し(長窪の切通し)」と表記を改めています。
※Googleマップの登録名は、誰でも変更申請することができるため、それが正式な名称であるという保証はありません。また、自治体の現代の見解が必ずしも史実と整合性がとれているとも限りません。

当サイトでの名称2024年5月現在の
Googleマップ上での名称
(所在地)
2022年5月現在の
Googleマップ上での名称
(所在地)
1999年選定の
かまくら景観百選の名称
(所在地)
平成初期(1990年代前半)設置の
六国見山登山道標の表記
大船の切通し大船の切通し(鎌倉市大船2033)高野の切通し(鎌倉市大船2033)
※実際には、大船と高野の境界に位置しています。
高野の切通し(長窪の切通し)高野の切通し(鎌倉市高野4丁目5-1)長窪の切通し(鎌倉市高野4丁目5-1)高野の切通(鎌倉市高野4-4地先)長窪

2022年5月現在、鎌倉市では、大船の切通し(当時のGoogleマップ登録名「高野の切通し」)には、とくに名称を設けていないとのことでした。
また、大船の切通し多聞院熊野神社とは反対側の一帯は、昭和後期に「(仮称)高野1号緑地」(鎌倉市高野11他1)として緑地保全の候補地に選定されていますが、2024年5月現在、目立った整備はされていません。

大船の切通しから続く大船高校寄りの尾根道(撮影日:2024.06.14)
大船の切通しから続く大船高校寄りの尾根道(撮影日:2024.06.14)
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大船の切通しのかつての役割

大船の切通し多聞院熊野神社側の入口から進むと、100mほどで切通しが途切れ、尾根道に出ます。さらに進むと、大船高校の裏側に突き当たり、丁字路になっています。

切通し多聞院熊野神社側にある三叉路付近から大船高校裏側の丁字路付近までは、高低差がおよそ25mあり、ゆるやかな登り坂になっています。大船の切通し周辺の地形図を見ると、大船方面から六国見山方面に向かうときに、もっとも傾斜がゆるやかになるような経路をピンポイントに選んで切通しが開かれていることが分かります。
このため、大船の切通しは大船方面から六国見山方面へのアプローチ道路として開削されたことはまちがいありません。かつては大船高校裏から高校の敷地を突っ切って、六国見山に登るルート(現在の北側の登山道に相当)もあったことでしょう。

大船高校裏で切通し側と直行している道は、明治期末の地図でも見られ、切通しから見て右に向かうと現在と同様に高野の切通しの方へ続いています。その先は、六国見山の南側を経由して、鎌倉市中の各所へアクセス可能な、現在の天園ハイキングコース方面に向かうことができたようです。

もう一方の左へ向かうと、古地図では、今泉方面へ続く道が見られます。大船の切通しの下に走る素掘りのトンネルが開通するまでは、こちらの切通しを経由する道が今泉方面へ向かうルートとして機能していたのでしょう。
現在はゴルフ場の開発などで失われてしまっていますが、今泉不動の先をさらに進み大平山へ行くルートがあったと考えられ(現在も道路自体は存在していますが、ゴルフ場へ行くための専用道です)、大船や北鎌倉方面から中世~江戸時代に貿易港や塩田として栄えた六浦・金沢文庫方面へ抜ける場合に、鎌倉市中を経由せずに、かつ、できるだけ平坦な道を選べるコースになります。

現在は大船高校や高野台に通じる裏道といった大船の切通し周辺は、かつては、人や物の往来も少なくない、重要なバイパス道路だったと考えられます。

六国見山登山道標・大船高校裏の大船の切通し近くの丁字路(撮影日:2024.06.14)
六国見山登山道標・大船高校裏の大船の切通し近くの丁字路(撮影日:2024.06.14)
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大船の切通しへのアクセス

大船の切通し下の素掘りのトンネル(撮影日:2021.12.10)
大船の切通し下の素掘りのトンネル(撮影日:2021.12.10)

大船の切通しへのアクセスは、大船駅方面から多聞院熊野神社をめざして向かうと分かりやすいです。多聞院熊野神社の近くの素掘りのトンネルの、大船町内会館の向かい側の路地(熊野神社の反対側)から切通しに入ることができます。

また、六国見山森林公園からは、公園北口から大船高校の東側をまわり込むようにして行くことができます。

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大船の切通し周辺の見どころ

多聞院
多聞院たもんいんは、大船の東端に位置する真言宗の寺院です。境内のすぐ横には熊野神社が鎮座しています。また、ちょうど裏山の尾根に沿って大船の切通しが通っていて、六国見山のふもとにあたります。大船の...
熊野神社[大船]
鎌倉・大船の鎮守である熊野神社は、安土桃山時代の1579年(天正7年)に、代々大船村の名主をつとめた甘糟家(甘粕家)の先祖・甘糟長俊が、熊野大権現を勧請して祀ったのがはじまりとされています。今も...
高野の切通し(長窪の切通し)
高野の切通(長窪ながくぼの切通し)は、大船の高野台と呼ばれるエリアにある、六国見山のふもとにある住宅地の一角に残る切通しです。高野の切通しは、現在の天園ハイキングコースから続く尾根道の最西端...
六国見山森林公園
六国見山ろっこくけんざんの名称は、山頂から、相模・武蔵・伊豆・上総・下総・安房の六国を望めたことに由来します。六国見山森林公園として整備された公園の展望台からは現在も眺望が良く、鎌倉市街、富士山や箱...
常楽寺・北条泰時の墓
常楽寺じょうらくじは、1237年(嘉禎3年)に、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時ほうじょう やすときが、妻の母の供養のために建立した粟船御堂あわふねみどうがはじまりです。泰時の死後、泰時の法名・常楽...
木曽義高首塚・姫宮塚
木曽義高きそ よしたか(源義高)は、平安時代後期に活躍した武将・木曽義仲きそ よしなか(源義仲)の嫡男です。別名「清水冠者しみず かじゃ/かんじゃ」とも呼ばれています。「冠者(かじゃ/かんじゃ)」と...
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三浦半島の切通

DATA

住所 鎌倉市大船
アクセス
行き方

JR各線・湘南モノレール「大船駅」徒歩約30分
または、江ノ電バス「鎌倉湖畔循環」行き、「鎌倉駅」行きで「常楽寺」下車、徒歩約8分

駐車場 なし
※このページに掲載している内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。
※地図は、右上のレイヤーボタンから、「オープンストリートマップ」「地理院地図」「Google マップ」に切り替えられます。大まかな場所を知りたい場合は「Google マップ」、目的地付近の詳細な道路地図を調べたい場合は「オープンストリートマップ」または「地理院地図」を選択すると分かりやすいです。左上の縮尺ボタンとあわせてご活用ください。
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