蘆花記念公園は、逗子市の市制施行30周年を記念して1984年(昭和59年)に開園した公園で、逗子にゆかりがある作家・徳冨蘆花にちなんで名づけられています。徳冨蘆花は逗子で4年間過ごし、代表作「不如帰」を書きあげました。
園内には、徳冨蘆花の文学碑や、自然をテーマにした随筆「自然と人生」を抜粋した木札が並ぶ園路「蘆花散歩道」などがあります。
園内には「旧徳川家達別邸」や「旧脇村邸」といった歴史的建造物や第一・第二休憩所として利用されている趣のある日本家屋が残されていて、逗子海岸にほど近い山すそに別荘が多く建てられていた時代の面影を見ることができます。
また、蘆花記念公園は、神奈川県内最大級の前方後円墳2基から成る長柄桜山古墳群に続くハイキングコースの入口の一つになっています。
お隣りの鎌倉に比べると逗子には目立った紅葉の名所がありません。そんな中、蘆花記念公園は逗子最大の紅葉の名所と言えます。知名度としては逗子ローカルの公園ですが、近隣の長柄桜山古墳群がある山や逗子海岸といった海とあわせてたのしむことができる、穴場スポットです。
INDEX
随筆「自然と人生」の木札が並ぶ園路「蘆花散歩道」
蘆花記念公園の、田越川に近い南広場・中央広場から裏山の中腹にかけての園路は、自然をテーマにした徳冨蘆花の随筆「自然と人生」を抜粋した木札が建ち並ぶ「蘆花散歩道」として整備されています。この園路自体、緑が多い自然豊かな散策路になっています。
「蘆花散歩道」をさらに道なりに登って行くか、旧郷土資料館裏の左側から続く道を登って行くと、神奈川県内最大級の前方後円墳である長柄桜山古墳群・第2号墳に続いています。
蘆花記念公園は逗子屈指の紅葉スポット
蘆花記念公園は、逗子の中でも屈指の紅葉スポットです。
徳冨蘆花の文学碑がある広場周辺は、晩秋になるとモミジで真っ赤に染まります。この文学碑がある広場から長柄桜山古墳群に続く園路沿いでも、たくさんの大きなモミジの木が見られます。
この他にも、公衆トイレがある南広場では、イチョウの黄葉をたのしむことができます。
以下のリンク先から周辺の【紅葉・黄葉おすすめスポット】の情報もご覧ください
趣きのある日本家屋の第一・第二休憩所
徳冨蘆花の文学碑がある広場から少し登ると、第一休憩所と第二休憩所として利用されている、趣きのある木造平屋建ての日本家屋があります。市内在住・在勤・在学者または市内で活動する団体が逗子市に事前登録することで利用できます。(要予約)
ともに築年数は不詳ですが、昭和初期か、それ以前の建築ではないでしょうか。第二休憩所はいわゆる典型的な古民家で、第一休憩所は集会やグループワークなどに利用できる大広間を持つ建物です。
第一休憩所も第二休憩所も、周囲にはモミジの木が多く植えられているため、晩秋になると紅く染まった木々に包まれて、日本家屋の趣きがさらに増します。
蘆花記念公園には、この他に野外炊事場があり、周辺の山や海とあわせて、気軽にアウトドアを満喫できます。
郷土資料館として使われていた 旧徳川家達別邸
かつては、園内に逗子市郷土資料館が開館していて、逗子ゆかりの文学作品に関する展示などがされていました。
2020年に閉館したため、郷土資料館の内部を見学することはできませんが、玄関前の小さな広場からは富士山や江の島など、相模湾の景色を一望することができます。
逗子市郷土資料館として使われていた建物は、1912年(大正元年)に横浜の実業家の別邸として建てられ、1917年(大正6年)からは徳川宗家第16代当主・家達の別邸として使われていたものです。
木造平屋建、寄棟造の桟瓦葺きの建物は、相模湾の眺めを重視した間取りになっています。(内部は非公開)
和洋折衷様式の海浜別荘 旧脇村邸
旧脇村邸は、1934年(昭和9年)に三井物産取締役などを務めた藤瀬政次郎氏の別荘として建てられました。
その後、経済学者の脇村義太郎氏に所有が移り、脇村氏の没後は相続税として大蔵省(現・財務省)に物納されていたものを逗子市が取得し、現在は蘆花記念公園の一部として外観のみ公開されています。
木造二階建て和洋折衷様式の数寄屋造りの建物は、2階の大きく取られた開口部が特徴的な住居です。(内部は非公開)
逗子にあるもう一つの徳富蘆花ゆかりの公園
蘆花記念公園がある場所から、逗子海岸を挟んだちょうど対岸には、徳冨蘆花の小説「不如帰」の舞台となった滝のある不動尊があります。「不如帰」の大ヒット後、この不動尊は「浪子不動」と呼ばれるようになりました。現在その周辺は、浪子不動園地という名前で、海を望む公園として整備されています。