スポンサーリンク

佐野八幡神社 | 旧日本軍が身近にいたことを色濃く残す旧佐野村の鎮守

佐野八幡神社(撮影日:2024.10.31) 横須賀
佐野八幡神社(撮影日:2024.10.31)

佐野八幡神社さのはちまんじんじゃは、江戸時代前期の1688年(元禄元年)に、旧佐野村小山小左衛門が、村民を代表して京都の石清水八幡宮を村内の諏訪社に勧請して、「八幡社」として祀ったのがはじまりです。

江戸時代後期の1845年(弘化2年)には、村民が協力し、現在地に八幡社社殿を建立して、諏訪社境内から遷座させました。

その後、八幡社は、1873年(明治6年)に村社に列せられ、1908年(明治41年)には一村一社の政策により旧佐野村に鎮座していた貴船社八幡社創建の地でもある諏訪社を合祀して、「佐野八幡神社」と呼ばれるようになりました。

主祭神誉田別命:旧八幡社
健御名方命:旧諏訪社
海津見命:旧貴船社
旧社格等村社
創建1688年(元禄元年):旧八幡社
祭礼1月1日 新年祭
2月節分 節分祭
8月15日 例大祭
※実際の日にちは異なる場合があります

佐野八幡神社の社殿にかかる扁額の「八幡社」という文字は、1932年(昭和7年)に現在の社殿が完成した当時、横須賀鎮守府司令長官だった海軍大将・野村吉三郎の筆によるものです。
佐野八幡神社からもほど近い田戸台には、横須賀鎮守府司令長官官舎があり、野村吉三郎も司令長官時代はそこに住んでいました。戦後は田戸台分庁舎として海上自衛隊によって管理されています。田戸台分庁舎内には野村吉三郎の胸像もあり、年に1、2回一般公開される際に見ることができます。

佐野八幡神社・社殿にかかる「八幡社」の扁額(撮影日:2024.10.31)
佐野八幡神社・社殿にかかる「八幡社」の扁額(撮影日:2024.10.31)
スポンサーリンク

武運の神様を祀る佐野八幡神社

佐野八幡神社・鳥居(撮影日:2024.10.31)
佐野八幡神社・鳥居(撮影日:2024.10.31)

佐野八幡神社(八幡社)の近くには、明治時代の中頃から、東京湾要塞司令部横須賀重砲兵連隊の練兵場(それぞれ、現在の横須賀市上町不入斗町)など、旧日本陸軍の施設が多く置かれるようになりました。

鎌倉幕府初代征夷大将軍(鎌倉殿)・源頼朝が鎌倉に鶴岡八幡宮を造営して、単なる神社という以上にあつく崇敬していたというエピソードが代表されるように、八幡神(誉田別命)武運の神様として信仰をあつめてきました。
そんな八幡神を祀る佐野八幡神社が、すぐ近くに駐留していた旧日本軍の軍人たちからも崇敬されていたであろうことは、容易に想像できます。

横須賀軍港に近かった横須賀・緑ヶ丘諏訪大神社裏山(現在の諏訪公園)にも、八幡社が大正時代に祀られました。(現存せず。もともとは大津陣屋に鎮座していたもの)

スポンサーリンク

日露戦争後に奉納された砲弾がシンボリックな参道入口

佐野八幡神社・住宅に囲まれた鳥居周辺(撮影日:2024.10.31)
佐野八幡神社・住宅に囲まれた鳥居周辺(撮影日:2024.10.31)

佐野八幡神社には、昭和初期に在郷軍人会より砲弾が奉納されています。現在も鳥居の裏に、左右それぞれ2発ずつ安置されています。

これは横須賀ならではの光景と言うわけではなく、とくに日清戦争・日露戦争の後は、国威発揚や戦勝ムードが漂う中、砲弾などの武器が神社や寺院に奉納されるということが全国的に多く見られました。佐野八幡神社砲弾が奉納されたのもまさにこの時期です。

今となっては戦争の負の遺産でしかありませんが、2発ずつ鳥居の左右に置かれるというシンボリックな扱いは、この土地ならではと言えるかもしれません。

佐野八幡神社・鳥居裏の砲弾(左)(撮影日:2024.10.31)
佐野八幡神社・鳥居裏の砲弾(左)(撮影日:2024.10.31)
佐野八幡神社・鳥居裏の砲弾(右)(撮影日:2024.10.31)
佐野八幡神社・鳥居裏の砲弾(右)(撮影日:2024.10.31)
スポンサーリンク

旧六浦藩藩主・米倉家より譲り受けた神輿が鎮座する旧社殿

佐野八幡神社・神輿庫(旧社殿)(撮影日:2024.10.31)
佐野八幡神社・神輿庫(旧社殿)(撮影日:2024.10.31)

社殿の右奥に鎮座している建物は佐野八幡神社の旧社殿で、現在は神輿庫として使用されています。
佐野八幡神社神輿は、明治のはじめに、旧六浦藩藩主の米倉家より譲り受けたものと言われています。

米倉家は幕末に横須賀製鉄所(後の横須賀造船所横須賀海軍工廠)の警護を担当するなど、その立地からも横須賀とは縁があったようです。米倉家は、同じ横須賀市内の船越神社にも、社殿(現在の神輿庫)を寄進しています。

スポンサーリンク

佐野八幡神社周辺の見どころ

御嶽神社(不入斗町)
御嶽神社みたけじんじゃは、不入斗公園の西側に鎮座する、旧不入斗村の鎮守です。かつては、不入斗公園東側の、現在の鶴久保小学校の敷地内にあった山上に鎮座していましたが、1898年(明治31年)に旧日...
西来寺
西来寺さいらいじは、不入斗公園の西側に建つ、平安時代前期の弘仁年間(810年~824年)に創建された浄土真宗大谷派の寺院です。創建当初は天台宗の「一乗寺」という寺院で、比叡山の学僧・定相律師によ...
はまゆう公園
はまゆう公園は、1988年(昭和63年)に、横須賀市制施行80周年を記念して開園した公園です。サッカーグラウンドとして利用できる運動場を中心に、そのまわりをウォーキングやランニングに利用できる遊歩道...
中里神社
中里神社なかざとじんじゃは、京急線の横須賀中央駅から、いわゆる下町地区とは反対側の平坂を登り切った先の、さらに小高い丘に鎮座する神社です。明治後期に、旧中里村の鎮守だった稲荷社と、同じく旧中里村...
海上自衛隊横須賀地方総監部田戸台分庁舎(旧横須賀鎮守府司令長官官舎)
海上自衛隊田戸台分庁舎は、1913年(大正2年)に横須賀鎮守府司令長官の宿舎として建てられた、和洋折衷の住居建築です。終戦後は在日米海軍司令官の住居として使用されていましたが、1969年(昭和44)...
横須賀市自然・人文博物館
横須賀市自然・人文博物館は、横須賀市の中心部から少し歩いた丘に建つ、平和中央公園の隣りにある博物館です。1954年に久里浜で横須賀市博物館として開館しましたが、1970年に自然部門が、198...
平和中央公園
長い間「中央公園」として市民に親しまれてきた公園が、2021年4月に「平和中央公園」としてリニューアルしました。直線を基調とした幾何学的だった園内は、円をモチーフにした有機的な印象の公園に様変わりし...
曹源寺(宗元寺跡)
曹源寺そうげんじは、奈良時代の高僧・行基草創と伝わる「宗元寺(宗源寺)」を前身に持つ、公郷町くごうちょうの寺院です。江戸時代後期に編さんされた地誌「新編相模国風土記稿」などによると、宗元...

DATA

住所 横須賀市佐野町1ー26
アクセス
行き方

●京急線「横須賀中央駅」方面よりバス利用
京急線「横須賀中央駅」から、京急バス「聖徳寺坂上・衣笠十字路経由 衣笠駅」行きか、「長井」行き、「横須賀市民病院前」行き他の「三崎口駅」方面行きで『佐野二丁目』下車、徒歩約5分

●JR横須賀線「衣笠駅」方面よりバス利用
JR横須賀線「衣笠駅」から、京急バス「衣笠十字路経由 横須賀駅」行きで『佐野二丁目』下車、徒歩約5分

駐車場 なし
料金

無料(志納)

電話番号 046-822-0403 ※諏訪大神社(管理元神社)
※このページに掲載している内容は、予告なく変更となっている場合があることをご了承ください。
※地図は、右上のレイヤーボタンから、「オープンストリートマップ」「地理院地図」「Google マップ」に切り替えられます。大まかな場所を知りたい場合は「Google マップ」、目的地付近の詳細な道路地図を調べたい場合は「オープンストリートマップ」または「地理院地図」を選択すると分かりやすいです。左上の縮尺ボタンとあわせてご活用ください。
error: 申し訳ありません。コピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました