猿島(猿島公園)は、横須賀の中心市街地の沖合約1.7kmに浮かぶ、東京湾最大の無人の自然島です。
BBQや投げ釣り、例年、夏には海水浴などをたのしむことができます。
猿島には宿泊施設はなく、宿泊をともなうキャンプも禁止されていますので、おのずと日帰りの旅と言うことになります。日帰りで遊びきるのにはちょうど良いサイズの島とも言えます。
かつての猿島は旧日本軍の要塞だった島で、明治時代には東京湾防衛のため西洋の技術を取り入れた猿島砲台が築かれました。
その前後にも、すでに幕末には台場が築かれていて、昭和前期には沿岸防衛のための施設から防空施設への用途変更などがあり、時代によって役割が変わっていくものの、一貫して軍事的な重要拠点として民間人が入れる場所ではありませんでした。
第二次世界大戦後に定期航路(フェリー)が開設されて民間人が立ち入れるようになってからも、現在に至るまで大きな開発がされることはありませんでした。
そのため、島内には緑豊かな自然と、旧日本軍の歴史的建造物が残り、独特な雰囲気を作りだしています。
猿島砲台跡は、東京湾要塞の遺跡として良好に姿をとどめているため、2015年に国史跡に指定され、2016年には日本遺産「鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」に構成文化財の一つとして認定されました。
2024年海水浴場 | × 猿島海水浴場は開設されません |
2024年海の家開設 | △ 常設の休憩スペースや売店あり(バーベキューなどのレジャーは営業) |
公衆トイレ | 〇 |
駐車場 | ー(下記DATA欄参照) |
よく猿島は、ジブリ映画『天空の城ラピュタ』の世界にたとえられますが、これは、戦後から70年以上かけて「自然」が作りあげた、近代遺跡・戦争遺跡です。
猿島は、幕末に築かれた台場、明治時代に西洋の技術を取り入れて島全体の要塞化とともに造られた沿岸砲台、大正時代に一度廃止された後、昭和に入ってから沿岸砲台の跡に築かれた防空砲台、といったように、東京湾防衛の重要拠点としての歴史をたどってきました。
これらの要塞跡が、戦後、大きな開発をされないまま、自然に還って行き、ほどよい廃墟感を見せてくれている様子が、猿島が『天空の城ラピュタ』の世界にたとえられている理由です。
INDEX
鎌倉時代の日蓮伝説が「猿島」の名の由来
鎌倉時代、鎌倉を目指していた日蓮聖人が房総半島から対岸の三浦半島へ海を渡る途中、嵐に遭い船が難破してしまいましたが、この島にいた白猿の導きによって、無事に陸地にたどり着くことができたという伝説が残っています。
諸説ありますが、この日蓮伝説が「猿島」の名前の由来になったと言われています。
古東海道(古代東海道)は、相模国を相模湾に沿って鎌倉を通り東京湾側に抜けて、横須賀から海路で房総半島に渡り、安房国、上総国、下総国、と北上していくルートだったとされています。
房総半島の「上総」と「下総」の位置関係が上下(南北)逆なのは、古東海道に沿って京の都に近いほうが「上総」、遠いほうが「下総」だったからです。
生息していてもおかしくないような雰囲気ですが、現在、「猿島」にはサルはいません。
幕末に築かれた台場はペリーを攻撃しなかった
日蓮伝説から時は流れて、江戸時代、「猿島」に別の名前を与える人物が現われます。
猿島の要塞化は主に明治時代に成されましたが、それ以前の江戸時代後期の1847年(弘化4年)には、外国船からの防衛を目的に、台場が築かれていました。
現在、台場の遺構を確認することはできませんが、島の北東部の岬にあるオイモノ鼻広場と呼ばれる場所に、島内に3か所あったとされる台場のうちの一つ卯ノ崎台場があったようです。
1853年(嘉永6年)のペリー来航時には、ペリーは白旗を掲げた小型の測量船で浦賀周辺から測量をはじめ、その後、江戸湾(東京湾)を北上して測量を続けました。
このとき、猿島の台場からペリー艦隊へ攻撃が実行されることはありませんでした。測量船が白旗を掲げていたからなのか、報復を恐れてのことだったのか、理由は定かではありません。
測量しながら江戸湾の海図を作成するにあたって、ペリーは独自に地名を名付けていました。
たとえば、親書の受け渡しが行われた久里浜は「レセプション・ベイ」、東京湾がもっとも狭まる三浦半島側の岬である旗山崎は「ポイント・ルビコン(ルビコン岬)」など。
「猿島」は、「ペリー・アイランド(ペリー島)」と名付けられました。自身の名を与えたというのは、よほど気に入ってのことなのか、戦略上の重要なポイントと考えていたのか、なかなか興味深いものです。
明治時代には猿島全体が要塞化していった
猿島の歴史的遺産のハイライトは、なんといっても、明治時代に西洋の技術を取り入れて造られた、レンガ造りの建造物群の遺構だと言えるでしょう。
明治時代前半に造られた猿島砲台は、同じ横須賀市内の観音崎で初期に造られた砲台と同じように、レンガの積み方はフランス積みです。製造技術の問題か、調達の問題か分かりませんが、よく見るといろいろな種類のレンガが使われていて、後の時代の建造物では見られない、とても表情が豊かなファサード(外観)になっています。
切通し沿いの遺構は第二砲台の関連施設
島の高台に点在して見られる砲座の遺構は、このようなレンガ造りではなくコンクリート造である点からも分かるように、明治時代の猿島砲台のものではありません。
その下部の、島を南北に走る通路沿いの遺構が、明治時代に造られた要塞跡になります。猿島桟橋で船を降りた後、道なりに歩いていくと現われる、深い切通しの道沿いにある遺構のことです。
猿島では、敵を攻撃する砲座以外の、弾薬庫や兵舎などは、島の内部(地下)に造られていて、まさに島全体が要塞だった様子を見ることができます。
通称「愛のトンネル」は旧第一砲台の関連施設
猿島の切通しを進んでいくと、南北に走る通路はやがてレンガ積みのトンネルにたどり着きます。
このトンネルの中にも弾薬庫などの、砲台関連の施設が造られています。島の外側からは、とても窺い知ることができない構造になっています。
こちらも切通し沿いの建造物と同じように、レンガの表情がおもしろいです。
「愛のトンネル」と名付けられた由来は、トンネルの内部に高低差が付けられていて、入口から出口が見えないという特殊な構造をしていることもあり、内部は薄暗く、恋人たちが自然と手を握りたくなってしまうことからそのように呼ばれるようになりました。
このように呼ばれるようになったころは、今よりももっと薄暗かったのですが、現在は通行が危険なほど暗くはありません。
もう一つの短いトンネル内は第一砲台の関連施設
レンガ造りのトンネルを抜けると、正面にまたレンガ造りのトンネルの入口が見えます。
「愛のトンネル」より短いですが、こちらもかつては内部が砲台関連の施設になっていました。
この2つのトンネルのあいだのあたりは、とくに、素掘りとブラフ積みの石切で高い塀に四方を囲まれていて、さらにその上には樹木がうっそうと茂っているため廃墟感が強く、映画『天空の城ラピュタ』の世界のような雰囲気を味わうことができます。
昭和前期に造られた防空砲台は米軍機の迎撃に使用された
明治時代に造られた猿島の砲台は、1923年(大正12年)に発生した関東大震災で被災したことにより、沿岸防御(艦船向け)の砲台しての機能は廃止されることになります。その跡地には、昭和に入ってから対空防御(航空機向け)のための高角砲台が設置されました。
このような経緯から、現在、島の高台で見られる砲座の遺構の多くは明治時代に造られたものではなく、昭和前期に造られたものです。高角砲の砲座の遺構が見られる場所のすぐ近くに、明治時代に造られた砲台跡が埋没していると考えられています。
猿島は小さな島ですが、このように、文字通り、歴史が何層にも積み重なってできている島なのです。
要塞化前まで猿島全域を境内としていた春日神社
猿島の要塞化がはじまるまで、猿島には春日神社の社殿があり、島全域が境内になっていました。春日神社は旧公郷村の鎮守で、村民は普段、対岸に設けた拝殿からお参りしていたと言います。
やがて猿島が軍用地となったため移転を余儀なくされた春日神社は、1884年(明治17年)、もともと拝殿のあった現在地(横須賀市三春町、京急線堀ノ内駅近く)に遷宮しています。
現在も春日神社の境内には、猿島との関係を示すように、狛犬ならぬ「狛猿」が置かれています。
昭和後期はショッカーの秘密基地として使われていた!?
砲座が置かれていたような場所を中心に、猿島には見晴らしの良い場所がいくつかあります。
展望台(現在は立入禁止)がある広場はその一つで、横須賀市街地方面をよく見渡すことができます。
この展望台は、『仮面ライダー』の敵組織ショッカーのアジトとして、劇中で使われました。
要塞跡という独特の雰囲気が、特撮の世界観に合っていたのでしょう。
横須賀でも貴重な猿島海水浴場
かつては、夏には、横須賀市内にも海水浴場が数多く開設されていましたが、今では、長浜海岸(和田長浜海岸)と、ここ猿島海岸だけになってしまいました。(2023年を含め、コロナ禍以降は休止中)
レジャーの多様化による海水浴客の減少や自然環境の変化による砂浜の減少など、さまざまな要因があると思いますが、猿島海水浴場が生き残っているのは、やはり、無人島や離島という特別感・非日常感を味わえる場所にあるということつきるでしょう。離島で海水浴というと、首都圏近郊では、伊豆諸島まで行かないとできませんが、猿島ならば対岸の横須賀市街からたった10分で実現できるわけですから、人気がないわけがありません。
現代は多様な価値観の時代
もちろん、猿島の魅力は近代遺跡・戦争遺跡や海水浴場だけではありません。たのしみ方は人それぞれです。
猿島桟橋がある、猿島の玄関にあたるエリアでは、休憩スペース「ボードデッキ」で目の前でテイクアウトしたお弁当や自分で持ってきたお弁当を広げたり、レンタルショップで機材を借りて(要事前予約)バーベキューをしたりできます。
島のまわりの砂浜や磯では、投げ釣りをたのしむこともできます。
目的を決めないで手ぶらで訪れても、じゅうぶんにたのしめてしまいます。
無人島で、ただボーっとしていたいという人もいるかもしれません。
「無人島」という響きは、それだけで、大人も子どもも、ワクワクさせてくれるものです。
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猿島の行き方
猿島へは、三笠公園の隣にある三笠桟橋から定期航路(フェリー)が就航しています。三笠桟橋から猿島までは、片道約10分ほどです。フェリーと猿島公園のチケットは、三笠桟橋のすぐ後ろにある三笠ターミナル/猿島ビジターセンターで購入します。