佐原城は、平安時代後期から鎌倉時代前期に活躍した三浦一族の武将・佐原十郎義連の居城だった山城です。
佐原義連は三浦大介義明の末子で、佐原の地を本拠地としたため、佐原氏(三浦氏佐原流)を名乗りました。
INDEX
衣笠城と東京湾の中間に築かれた佐原城
佐原城は、三浦一族の本拠地・衣笠城からは、東京湾方面となる東へ4kmほど行った、小高い丘の上にありました。久里浜で東京湾に注ぐ、三浦半島最大の河川である平作川の沿岸にあたります。佐原城より平作川の2kmほど下流には、怒田城も築かれました。
中世の久里浜湾は現在よりも内陸まで入り江が入り込んでいて、佐原城の辺りの平作川の川幅も広かったと考えられています。そのため、怒田城には三浦水軍の拠点があり、佐原城のすぐ近くまで舟で移動できていたことでしょう。
このように衣笠城の支城として平作川の沿岸に築かれた城は、源頼朝の平家討伐の挙兵時に、三浦一族が衣笠城を追われて房総半島へ逃れる際にも活用されたと考えられます。
現在の佐原城周辺&佐原義連ゆかりの地
現在の佐原城周辺は宅地化が進み、遺構らしい遺構は見られません。ただ、1893年(明治26年)に地域の住民によって建立されたという佐原十郎義連城跡の碑が残るだけです。
現在も、佐原城の周辺には佐原という地名が残っていて、横浜横須賀道路の佐原ICや佐原交差点などがあり、横須賀市内でも有数の交通の要衝となっています。
また、佐原城の周辺には、佐原義連の菩提寺・満願寺や、佐原義連が創建または再建した御霊神社や熊野神社といった佐原氏ゆかりの神社仏閣も点在しています。