天照大神社は、逗子海岸と鎌倉の材木座海岸・由比ヶ浜海岸の間に位置する小坪漁港から、急な坂道と階段を登り切った先に鎮座する、小坪の鎮守です。小坪は各集落ごとに鎮守を持っていますが、天照大神社は小坪全町(旧小坪村)の総
標高は50mで決して高いとは言えませんが、海から崖のようにそびえ立つ山を一気に登る必要があるため、登山の50mより疲労を感じることになります。標高50mは、ビルで言うと15階~20階に相当しますので、それを階段だけで登っているのと同じ感覚です。
境内の裏手には披露山庭園住宅が広がっていて、こちら側からはほぼ平坦にアクセスすることができます(もちろん、披露山に上がるためには坂道や階段を登る必要があります)。
昭和中期に披露山庭園住宅の開発がされる前までは、そこは天照大神社の鎮守の杜として機能していたのでしょう。
主祭神 | 天照皇大神 |
旧社格等 | 村社 |
創建 | 南北朝時代(室町時代初期)以前 |
祭礼 | 1月1日 歳旦祭 9月15日 例大祭 ※実際の日にちは年によって異なる場合があります |
INDEX
小坪漁港裏の高台に鎮座
小坪漁港側の参道
小坪漁港から天照大神社に向かうと、最後に待ち受けるのが、100段以上はある急な階段です。途中で登るのに疲れたら、無理せず休むと良いでしょう。振り返ると、眼下のリビエラ逗子マリーナ越しの相模湾の素晴らしい景色や、天候が良ければ富士山を一望できます。
披露山庭園住宅側の参道
披露山庭園住宅側から社殿までは、十数段のゆるやかな階段でアクセスできます。
黄梅院文書に垣間見える天照大神社や小坪の歴史
天照大神社の創建年などの詳しい由緒は分かっていませんが、江戸時代後期に編さんされた地誌「新編相模国風土記稿」によると、小坪村の鎮守として「神明宮」の名前があり、南北朝時代の1362年(康安2年)に記された円覚寺塔頭・黄梅院文書から「小坪神明神畑一枚ト見ユ・・・」と引用していることから、遅くとも南北朝時代には創建されていたことが分かっています。
小坪村は、江戸時代には三浦郡に属していましたが、中世は鎌倉郡に属していて、さらに、小坪村の一部は黄梅院領だったという関係から、「小坪郷分帳」として黄梅院にその歴史が残されていました。
小ぶりながら典型的な神明造の本殿
天照大神社の拝殿には、明治期に国が定める「村社」の資格を得るため、氏子400戸余が2年間各戸ごとに積み立てをして基本財産を蓄積するなどしたという、小坪の人々の信仰の深さが記されています。
1923年(大正12年)に発生した関東大震災により1882年(明治15年)建立の社殿は倒壊したため、現在の社殿は1936年(昭和11年)に再建されたものです。小ぶりながら、典型的な神明造の特徴が見られる建築です。
近年では、2000年から2001年にかけて、大規模な修繕が行われています。