若命家長屋門は、江戸時代に三浦半島西海岸の旧秋谷村の名主を務めた若命家(わかめいけ/わかめけ)の屋敷に建つ長屋門です。長屋門は近世の武家の表門に多く見られる形式の建築物ですが、名主として名字帯刀を許された若命家では、長屋門の建築も許されていました。
若命家の長屋門は江戸末期の建築と伝えられていて、外壁は漆喰で、腰の部分は幾何学模様のデザインが特徴的な「なまこ壁」と呼ばれる工法が用いられています。門扉には欅材が使用されています。屋根は、もともと茅葺きでしたが、大正時代の関東大震災後に瓦葺きとなっています。
長屋門から入って左手には納屋、米蔵があり、右手には畳部屋が付属しています。
若命家長屋門の内部は非公開ですが、長屋門の外観はいつでも見学することができます。
INDEX
秋谷神明社の鎮守の杜に寄り添うように建つ若命家長屋門
若命家は、鎌倉時代末期の1331年(元弘元年)、相模国葛原から秋谷の地に移り住んできたと伝えられています。若命家の屋敷のすぐ隣りの山上に鎮座する秋谷神明社(秋谷神社)も、このときに若命家によって祀られたと伝えられていることから、この当時からそれ相応の身分の家柄だったことがうかがい知れます。
泉鏡花「草迷宮」の舞台となっている黒門の別宅のモデル
明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家・泉鏡花の代表作の一つに、秋谷を舞台とした「草迷宮」(1908年)があります。この「草迷宮」の後半の舞台となる、村の庄屋である鶴谷家の黒門の別宅は、若命家長屋門のある若命家の屋敷がモデルとされています。
若命家長屋門からもほど近い場所にある秋谷を代表する景勝地・立石公園には、泉鏡花の「草迷宮」の文学碑が建っています。