逗子海岸流鏑馬は、逗子海岸の砂浜を馬場として催される流鏑馬です。源頼朝の時代から800年以上伝統を受け継いできた、大日本弓馬会・武田流によって執り行われています。
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」によると、1200年(正治2年)9月2日に頼朝の子・源頼家が逗子・小坪の海辺で、流鏑馬と同じように射手が馬上から的を射る伝統武芸「笠懸」を催したことが記録されています。この「小坪の海辺」は、広い砂浜を持つ逗子海岸のことであるとみられています。
また、1945年(昭和20年)の終戦直後には、逗子海岸沿いにあったなぎさホテル(現存せず)に進駐していた米軍に流鏑馬騎射を披露したところ、これをたいへん気に入ったと伝えられています。1948年(昭和23年)と1949年(昭和24年)の11月には、逗子市民も楽しめるイベントとして、日米親善流鏑馬騎射会が開催されたという記録が残っています。
逗子海岸にはこのような歴史的背景があることから、1992年より流鏑馬が開催されるようになりました。
逗子海岸流鏑馬では、流鏑馬以外にもいくつかのイベントが開催されます。例年、午前中には、亀岡八幡宮を出発して逗子のまちなかを練り歩く子ども武者行列が、お昼ごろには、逗子海岸流鏑馬会場で海岸近くにある逗子開成学園・和太鼓部による演奏が催されています。
大日本弓馬会・武田流による流鏑馬
「流鏑馬」とは、武者姿の射手が全速力で走る馬の上から的を射る伝統武芸です。鎌倉周辺で見られる流鏑馬神事は鎌倉時代から続く伝統武芸で、源頼朝によって鶴岡八幡宮で催されたものがはじまりです。より実戦に近い形式の「笠懸」などと違い、天下泰平、五穀豊穣、万民息災を祈念して的を射る、神事として行われています。
鎌倉の春の風物詩「鎌倉まつり」では、鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場で大日本弓馬会・武田流による流鏑馬神事が奉納されています。また、初夏に油壺の荒井浜海岸で催される「道寸祭り」では、大日本弓馬会・武田流による笠懸を見ることができます。
戦後に米軍に披露された流鏑馬も、武田流によって催さたと記録されています。
開催場所
逗子海岸の詳細
アクセス
●徒歩の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン「逗子駅」または京急逗子線「逗子・葉山駅」より徒歩約15分
●バス利用の場合
JR横須賀線・湘南新宿ライン「逗子駅」または京急逗子線「逗子・葉山駅」より京急バス「葉山」行きなどの海岸回り葉山方面行きで『富士見橋』または『切通し下』下車