大椿寺は、鎌倉幕府初代将軍(鎌倉殿)・源頼朝が三崎に設けた三御所の一つ「椿の御所」跡に建つ寺院です。「椿の御所」の名は、この地に多数の椿の木があったことに由来します。
大椿寺は、現在の城ヶ島大橋のたもとに位置しています。城ヶ島大橋の建設工事の際、大椿寺の裏山の円墳からは、「女人埴輪」など、多くの埴輪が出土しました。
大椿寺は、三浦三十三観音・第4番札所となっています。
山号 | 金剛山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
寺格 | ― |
本尊 | 十一面観音 |
創建 | 1199年(建久10年)~1230年(寛喜2年) |
開山 | 旭永 |
開基 | 妙悟尼 |
三崎三御所は、源頼朝をもてなすための別荘として設けられました。「椿の御所」以外の二つは、現在の見桃寺に「桃の御所」が、現在の本瑞寺に「桜の御所」が設けられていました。
三崎三御所は、「三崎山荘」と呼ばれることがある他、それぞれに花の名が付いていることから「花の三御所」などと表現されることもあります。
源頼朝は三崎を好み、何度も来遊しました。その際、この地を治めていた三浦氏の当主・三浦義澄やその一族が、飲食を振舞ったり、武芸を披露したりしたと伝わります。
INDEX
源頼朝の寵愛を受けた妙悟尼
開基の妙悟尼は、源頼朝の側室と伝わる人物です。この地で、頼朝の寵愛を受けていましたが、頼朝の死後、尼となり、妙悟尼と称したと言います。「大椿寺」は、妙悟尼の法名です。
源頼朝の、正室である北条政子以外の室(側室、愛妾)としては、亀の前事件で有名な亀の前の存在がよく知られています。
亀の前は、政子の嫉妬を受けて、逗子の飯島から葉山の鐙摺へと逃れました。鎌倉からは遠ざかったことになります。
現代で言うプレイボーイやチャラ男だったと見られる頼朝にとって、鎌倉からさらに遠い三崎の地は、政子の目を気にせずに羽目を外せる、安息の地だったのかもしれません。
北原白秋も歩いた大椿寺
明治後期から昭和前期に活躍した詩人・北原白秋は、一時、大椿寺近くの異人館に住んでいました。白秋はよく大椿寺へも散歩に訪れていて、大椿寺のことを詠んだ歌も残されています。
椿の御所以外の源頼朝の三崎の三御所
源頼朝は、三浦半島では、三崎以外に葉山の森戸大明神(森戸神社)があるあたりにも別荘を設けました。