葉山・木古庭にある不動の滝は、三浦半島の数少ない自然の滝の一つです。高さ5mほどの小さな滝ですが、水の落ちる音が涼しげで、夏でもひんやりしています。背後には三浦半島最高峰の大楠山がそびえる木古庭の不動の滝では、かつては滝行も行われていたようで、古くからこのエリア屈指の霊験あらたかなパワースポットでした。
不動の滝から50mほど離れた場所には、瀧不動堂が建っています。この木古庭の不動尊は、大善寺・不動尊と武山の不動尊とともに「三浦の三不動」と呼ばれています。
また、不動の滝と瀧不動堂には、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて活躍した武将・畠山重忠の逸話も残されています。
INDEX
大楠山の麓を源流とする不動の滝
不動の滝は、背後にそびえる大楠山のふもとの湧き水を源流にして、流れ落ちた水は下山川に合流します。下山川は、葉山御用邸前の、一色海岸と大浜海岸の間で、相模湾に注ぎます。
かつては、周辺で暮らす人々にとって貴重な飲料や田畑を潤すための清水でした。
昭和期に、不動の滝のある大楠山の北側の斜面はゴルフ場(葉山国際カンツリー倶楽部)の開発が行われましたが、不動の滝の水は枯れずに今も落ち続けています(地形図を見る限り、意図的に自然保護されたようです)。
畠山重忠の不動明王と瀧不動堂
平安時代末期の1180年(治承4年)、源頼朝が伊豆で平家討伐の挙兵をした際、武蔵国の武将・畠山重忠は平家方について戦いました。源氏方についた三浦一族と鎌倉の由比ヶ浜や逗子の小坪で戦になると、畠山重忠らの軍勢は、三浦半島に引き上げる三浦一族を追って衣笠城を攻めました。
このとき、畠山重忠が陣を敷いた木古庭の畠山に、自身の守り本尊である不動明王像を安置して戦勝祈願をして戦ったところ勝利したため、凱旋の後にこの不動明王像を現在瀧不動堂の建つ瀧谷山に勧請したと言います。すると、一夜のうちに山から清水が湧き出て、不動の滝が生まれたと伝えられています。
瀧不動堂の傍らには、畠山公一族顕彰慰霊碑が建っています。
江戸時代の宝永年間に起きた大干ばつの際には不動明王に祈ったところ湧き水の量が増して農作物を収穫できたとか、不動の滝に打たれて病が治ったという者も多く、五穀豊穣や無病息災などのご利益を求めて、参拝者も多かったようです。
山号 | 瀧谷山 |
宗派 | 日蓮宗 ※管理元である本圓寺の宗派 |
寺格 | ― |
本尊 | 不動明王 |
創建 | 不詳 ※1660年(万治3年)再建 |
開山 | 不詳 ※不動明王を勧請したのは畠山重忠 |
開基 | 不詳 |
典型的な修験道の場として、滝と不動尊とのセットは全国各地で見られますが、不動の滝・瀧不動堂(木古庭の不動尊)の他に、三浦半島では、逗子の浪子不動や鎌倉の今泉不動(称名寺)で見られます。
以下のリンク先からその他の【畠山重忠ゆかりの地】もご覧ください
不動の滝・瀧不動堂(木古庭の不動尊)周辺の見どころ
不動の滝・瀧不動堂の向かい側の山々
不動の滝・瀧不動堂の向かい側には、三浦アルプス(二子山山系)の山々が連なっています。
畠山重忠が陣を敷いたという畠山は、三浦アルプスの東の端(横須賀、東京湾側)にあります。
湘南国際村方面
不動の滝・瀧不動堂から大楠山へは、ゴルフ場を迂回する必要があり、阿部倉経由か湘南国際村経由で行くことができます。
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