神武寺は、奈良時代の724年(神亀元年)に、聖武天皇の命により行基が開山したと伝わる古刹です。
857年(天安元年)には、円仁(慈覚大師)によって中興され、法相宗から天台宗に改宗されました。
鎌倉時代には、源頼朝と妻・政子が安産祈願のため神馬を奉納したり、源実朝が参拝した記録などが残っていて、幕府からも篤い信仰を受けていました。
鎌倉幕府滅亡後は、他の鎌倉周辺の寺院と同じように、幾度かの衰退や大火と復興をくり返して、幕府の寄進を受けた江戸時代以降に現在の境内が整備されていきました。
山号 | 醫王山(医王山) |
宗派 | 天台宗 |
寺格 | ― |
本尊 | 薬師三尊像 |
創建 | 724年(神亀元年) |
開山 | 行基 |
三浦半島ではめずらしい山岳信仰の面影を残す神武寺周辺は、緑豊かな自然に囲まれていて、「かながわの景勝50選」や「かながわの美林50選」、「三浦半島八景」、「逗子八景」などに、景勝地として数多く選定されています。
INDEX
秘仏・薬師三尊像を祀る 薬師堂
神武寺の本堂・薬師堂は1593年(文禄3年)に建立された境内最古の建物で、現在の建築の主要部分は1666年(寛文6年)に再興されたものとみられています。
1992年の大修理では、寄棟屋根の茅葺きは、茅葺形銅板葺に改修されました。
薬師堂の薬師三尊像は秘仏とされているため33年に1度しか開帳されませんが、毎年12月13日の午前中に行われるすす払いの際に拝観することができます。
薬師堂の前には1761年(宝暦11年)建立の楼門、薬師堂の隣りには1844年(天保15年)建立の地蔵堂が建っています。
樹齢約400年の なんじゃもんじゃの木
薬師堂と地蔵堂の前に立つ大木は「神武寺のなんじゃもんじゃ」として、「かながわの名木100選」に選ばれています。
樹種が分からなかったため「なんじゃもんじゃの木」として親しまれてきましたが、ホルトノキです。樹齢は推定約400年と言われています。
逗子八景の一つ 神武寺の晩鐘
薬師堂などが建つ境内より一段下、客殿や惣門から見ると一段上に、鐘楼堂が建っています。「神武寺の晩鐘」として「逗子八景」の一つに選ばれています。
先代の鐘は第二次世界大戦で供出されたため、現在のものは戦後に鋳造されたものです。
鐘楼堂を見上げる森の中に建つ惣門も戦争に翻弄された建築物で、当初はJR東逗子駅前の踏切の近くにありました。それが、第二次世界大戦中に表参道の入口に移され、さらに1975年(昭和50年)に現在の場所に移されました。
客殿に続く見事な切通
惣門から客殿(宝珠殿)に向かう途中には、見事な切通があります。客殿は四方を山と谷に囲まれた要害の地にあるため、この切通を通って行く必要がありますが、切通より中は参拝者以外は立入禁止となっています。
緑豊かな 神武寺・鷹取山ハイキングコース
山寺の雰囲気を残す神武寺へは、徒歩では、JR横須賀線の東逗子駅から行くルートと京急逗子線の神武寺駅から行くルートがあります。
駅名に「神武寺」と付く神武寺駅よりも、東逗子駅からのほうが近く、こちらが表参道とされています。
どちらのルートもハイキングか軽い登山をするくらいの、タウンユースよりは少ししっかりとした装備で行くことをおすすめします。
緑豊かな自然が残る参道は、「かながわの景勝50選」や「かながわの美林50選」に選ばれたすばらしい環境の中を歩くことができます。
神武寺からさらに東に向かえば鷹取山方面に行くことができ、神武寺・鷹取山ハイキングコースとして整備されています。
鷹取山はかつて石切り場として利用されていましたが、地質が同じ神武寺の周辺にも、神武寺駅からの池子参道の入口付近に石切り場跡があったり、参道途中に人工的に切り出したものと思われる大きな岩が転がっているのを見ることができます。