小坪須賀神社は、明治初期まで「天王社」と呼ばれていた、須佐之男命(牛頭天王)を祀る逗子・小坪の古社です。小坪の総鎮守・天照大神社の境外末社で、天照大神社と並んで小坪全町(旧小坪村)の鎮守として古くから親しまれてきました。
毎年夏に行われる「天王祭」は、天王唄にあわせて担がれるお神輿とバリエーション豊かなお囃子太鼓が特徴の、漁師町らしい小坪の夏の風物詩です。
33年ごとに開催される、小坪から葉山・一色の森山神社(森山社)へ須賀神社のお神輿が渡御する「行合祭(三十三年大祭)」は、奈良時代から1,300年近く続く神事です。(次回は2028年に開催予定)
主祭神 | 須佐之男命 |
旧社格等 | ― |
創建 | 不詳 |
祭礼 | 7月15日直前の土曜日・日曜日 天王祭 満32年目毎 行合祭(三十三年大祭) ※実際の日にちは異なる場合があります |
小坪須賀神社(天王社)は、かつての小坪坂(小坪峠)の小坪側の入口と小坪海岸に面した浜の四町(南町・伊勢町・中里・西町)の入口が交わる、辻に鎮座しています。
現在では目の前の上空を国道134号(かつての湘南道路)が通過していて、この辺りに用事がない人は素通りしてしまう場所になってしまいましたが、かつては、須賀神社の前を走る道が鎌倉と逗子・葉山方面を結ぶ主要道の一つでした。
昭和初期に久木方面へ抜ける東谷戸の小坪切通しが開通するまでは、鎌倉から小坪坂(小坪峠)を下ってきた人たちは、このあたりから再び披露山を越えて逗子・葉山方面に向かう必要があり、谷間に位置する須賀神社は、一息つけるような場所でもあったことでしょう。
三十三年ごとに森山神社へ通う須賀神社の神様
「行合祭(三十三年大祭)」は、須賀神社の主祭神・須佐之男命/素戔嗚尊(男神)と森山神社の主祭神・奇稲田姫命(女神)が夫婦のため、33年ごとに須賀神社の須佐之男命/素戔嗚尊がお神輿にのって、森山神社の奇稲田姫命に会いに行くという、ロマンティックなお祭りです。
須佐之男命/素戔嗚尊は森山神社の奇稲田姫命のもとで3日間(明治以前までは7日間)過ごした後、また小坪に戻って来ます。
小坪と葉山・一色はともに、海と山が迫っている地形と、かつては漁業を軸とした半農半漁の村だったと言う共通点があります。陸路では6~7kmほど離れていますが、きっと、舟では隣り近所という感覚で、交流もあったのでしょう。
また、古くはどちらも古代の東海道沿いだった可能性が高く、行合祭が奈良時代から続く神事ということもうなづけます。(「古東海道」は、律令時代の畿内から常陸国に至る官道で、相模国と上総国の間は、鎌倉、逗子、葉山から三浦半島を東西に横断して、走水付近より海路で房総半島に渡るというルートだったと考えられています)
小坪の海で漁師の網に引っかかったと伝わる子育地蔵
須賀神社の隣りには、子育地蔵を安置する地蔵堂が建っています。土地の人たちが子どもたちの健康を願いお参りされていたことから「子育地蔵」と呼ばれるようになったと言います。
この2mを超す大きな石造りのお地蔵さまは、小坪の海で漁師の網に引っかかり、打ち上げられたものと伝えられています。以前は、この近くの砂畠という場所に立っていましたが、大正時代のはじめに今の場所に移されたと言います。